谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

娘からの叱咤激励

風呂に入りながら娘曰く、

パピが怒ったような大きな声で「あれやれ、これしろ、はよせぇ」などと言うのは嫌だ!わたしの話を全然聞かないし、楽しくワーク(家庭学習のこと)をしたくなるような教え方ができなくて下手だし、教える時も怒るんじゃなくてちゃんと教え方を勉強して欲しい!

大きな声で言いたくなったり怒りたくなるのを我慢して、やさしく言ってくれたら、ポイントとかお金あげるんだからね!?

 

痛く反省する次第である。

 

寝る前に、「父ちゃんが大きな声とか怒った感じで言うのはやっぱり怖い?」と訊くと、「うん。大人はみんなうるさい!」と言う。

「そっか、悪かったな。みんな、Take it easyって感じ?」

「うん」

「じゃあ、キミもTake it seriously pleaseだぜ?w」

みたいな会話をした。

 

狭いIKEAの子供用ベットで添い寝をして、いつもなら「早よ寝な!」などと言うところを優しく声かけしていると、たくさんポイントをくれて「ありがとう」と言われた。そして、(おそらく)娘より先に寝落ちした。

 

親父、まだまだ未熟である。先は長いが、子は一気に親離れをしそうなので、変えられることはすぐに変えていかないと後悔するんだぜ。抑えつけるのはラクだけど、気分を乗せるのは労力を要するけど、得られる果実は何倍も大きい。

 

妻は、狭いベッドで添い寝してあんたが寝落ちしたら、暑くて娘が掛け布団はいじゃうから添い寝禁止!と言うが、娘が望むことはやってやろうと思う。佐々木正美先生の『子どもへのまなざし』にも書いてあったけど、子どもの欲求を満たすことは甘やかしでも過保護でもないのだ。

 

そんなことを考えた夜だったので、来年の今頃の自分宛の手紙として、ここに書いた。

子供を通して自分を眺めることについて

人生の意味はアウトプットにある。

 

今朝、モーニングページを書いていて到達した暫定的な結論。これまで、本を読みSNSを眺めブログを読み耽り、はたまたYouTube動画を貪るように見てきたが、どれもインプットばかりである。一方で、時々ブログ記事は書いていたものの、ほとんどアウトプットがない。なにもそれは、書くことだけには限らない。人と会って話す、手を貸す、お世話をする、料理を作る、教える、傾聴する、問いかける、などなど、やり方や行為のベクトルは様々かも知れないが、谷充展という一人の人間の外部に向けて働きかけるという観点からは、どれもアウトプットと呼べるような気がする。

 

審判の現役を(ほぼ)引退した。年始に自身と対話する中で自然と出た結論。まだ一月ほどしか経ってはいないけれど、振り返ってみても、絶妙なタイミングだったと思う。

 

最近は、週末になると娘と一緒に過ごしていて、子供と過ごしているのだなぁという実感が湧く。思いの外楽しいし、娘の嬉しそうな顔を見ていると幸せになる。自転車に乗せて近くの施設や公園に行き、好きに遊ばせて満足したら帰る。一緒に遊ぶこともあるし、他の子に声をかけて友達になって子供同士で遊んだり。

 

だいたい6時ごろに家路につき、帰ってきてから夕飯を食べ、風呂に入る。それから歯を磨いて寝かしつける。朝は朝とて、だいたいこちらが朝食を用意して、二人で食べることが多い。

 

今では本当に一丁前の口を聞くようにもなったし、ある程度こちらの怒るラインを図りながら駆け引きもしてくる。彼女は「けんか」というが、こちらが大声で叱ると向こうも大声で思いの丈をぶつけてきて、それから自分の部屋に逃げ込む。娘が部屋に行ってしまったら、父親が迎えに行くのがルーティンである。扉をノックし、部屋に入り、こちらの考えを話して向こうの気持ちを聴く。娘は、自分の感情を第三者の視点で描写するのが得意なのか、少し落ち着いてくると客観的にどういう気持ちだったのかを教えてくれる。それを頷きながら聞いて膝の上で抱きしめると、彼女のホッとしていく様子が伝わってくる。

 

もはや、一連の儀式のようなものになっているが、親に似て瞬間湯沸かし器なのか、一気に「跳ね上がる」と、彼女がランディングするのを手伝ってやる必要がある。それは時間を要する作業であり、慌ただしくしているとついイライラしておざなりになってしまうのだが、言っても高々15分程度のものである。そして、ゆっくり話を聞いてハグをすると、その後の気分はお互いに良い。

 

不思議なものです。

 

深夜の由無し事

色々昔の資料などを読み耽って深夜遅くまで起きていた時の罪悪感。明日も朝起きて娘の朝の支度をしないといけないのだが。

昨日の割当で今シーズンの関東割当は終了。今週末にもう1試合主審を担当して公式戦の吹き納め。思うところの多いシーズン最終盤である。

昔の主審評価レポートを読み返して、審判の場以外での葛藤が、レフェリーとしての自分を成長させてくれたのだと実感するとともに、もう一つ上の景色はどんなだっただろうと詮無いことも考える。

そして、各レポートを書いてくれたインストラクターの方々の顔を思い出しながら、感謝の思いが込み上げてくる。

 

自分は、何かを伝えられるだろうか。

洗濯機の故障、戦争、もっと大学であれこれやっときゃなぁ

先月、家の洗濯機の脱水が機能しなくなり、かれこれ一月ほどコインランドリーに通っている。ちょうど花粉シーズンで、外に干せない我が家は乾燥機を利用しに頻繁にコインランドリーに行っていたけど、乾かしに行くのと洗濯を一からしに行くのとでは、全然違う。コインランドリーで洗ったもの全てを乾燥機に放り込めれば良いのだけれど、乾燥機NGの洋服が色々とあるので、30分の洗濯の間待機して、乾燥機にかけられるものを仕掛けてから一旦家に戻って部屋干しするものを干し、また時間を見つけて乾燥の終わった洗濯物を取りに行ったりしている。あるいは、乾燥機にかけられるものだけを選別して、洗濯から乾燥までずっとコインランドリーで過ごしたり。週に2、3日はランドリータイムです。ここ最近は、朝家族が起き出してくる前にコインランドリーに行き、PCを持ち込んでテザリングをしながら仕事しながら洗濯〜乾燥が終わるのを待っていたりしている。環境が変わって集中できるからか、意外と仕事が捗ります。元々コインランドリー大好きだったし、今ではふっと一人で落ち着いた時間を過ごせるオアシスのような時間。家は家で賑やかで楽しいのだけれども、そればかりだと、ね。

 

新しい洗濯機はすでに購入済みではあるのだけれど、納品まで1か月強ということで、今月末まであと3週間ほどこの生活。そして、お支払いが始まるのです。洗濯機、高いね。花粉や梅雨シーズンを見越して乾燥機能付きのドラム式にしました。新しい家電が来るのは楽しみではあるけれど、調子に乗って乾燥機回しすぎると電気代で泣きそう。おそろしや。

 

ロシアのウクライナ侵攻が始まってからこちら、何か書いておきたいと思いながら、日々のさまざまな事に追われてもう3月9日。かれこれ2週間か。少しだけ、書きかけのメモのようなものがあったので、それはここに記録として残しておく。

 

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3月4日(金)

戦争が始まった。ウクライナで。

スペインのラジオ局Cadena Serのメールを購読しているけれど、見事に西側の視点からの内容である。当たり前と言えば当たり前だ。

ロシア語が読めたら、ロシア側のメディアも読める。内容がプロパガンダだとかは別の問題である。

ここで、西側が正しい、ロシアの(もとい、プーチンの)言い分に理がある、という話をしているのではない。

戦争では、人が死ぬ。上官の命令で兵士が戦闘を行い、そこで死ぬ。巻き添えになって、市民が死ぬ。そして、市民の家や公共施設や自然やその他いろいろなものが破壊される。

戦争をしたら、人が死ぬ。

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家ではテレビもラジオもつけないから、娘は戦争の「せ」の字もまだ知らない。そういう僕自身も、実体験としては戦争を知らないけど。

 

セルビアで、ロシアを支持する市民のデモがあったという記事を読んで、昔読んだ『悪者見参』という本を思い出した。

悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

ストイコビッチユーゴスラビア代表を軸にしながら、コソボ紛争を取材したルポルタージュ。今回のロシアによるウクライナ侵攻を見ながら、そしてセルビアのロシア支持のデモのニュースを読みながら、20年越しにあの本で描写されていた反NATO感情のようなものが、少しだけわかったように思う。そしてスウェーデンフィンランドNATO加盟に好意的な意見が、初めて5割を超えたというニュースもあり、北欧史の講義で学んだ17世紀・18世紀のスウェーデンとロシアの戦争が、不意にリアリティを持ってくる。そうだよな、フィンランド挟んで向かい合ってるんだよなって。フィンランドがいかに緩衝国家として立ち回ってきて今の生活水準・文化水準を達成したか、みたいな記事も読んだ。NATO圏とロシアの間に位置していたウクライナと対照させる内容。

 

先日図書館で借りた、アイスランドについての本が非常に興味深い。『よみがえれ!夢の国アイスランド』という本で、著者はアンドリ・スナイル・マグナソン。アイスランド大学のアイスランド語学科を卒業した作家・自然保護活動家ということだけど、歴史にifを積極的に導入して様々な可能性を想像して提示してくるあたりが面白い。書かれてある内容はほとんどアイスランドに特化した内容で、カタカナでも一見読めない地名がわんさか出てくるものの、着想の仕方とかアプローチとかは普遍的なものがある。そういうところもあって、訳者もこの本の日本語訳を決意したようだ。

よみがえれ!夢の国アイスランド―世界を救うアイデアがここから生まれる (地球の未来を考える)

 

これから、オンラインレッスンのお断りのメールを書かなくてはならない。受講しようかと無料体験+面談を受けた語学講座だが、時間とお金の投資のタイミングとして適切ではなかった。まぁ個人の趣味に毎月2万円というのも、まだまだ娘も手がかかる時だし、ただでさえ仕事とか審判の研修とかで忙しいのに、さすがに無謀でした。費用対効果という点で。発音の「音を作る」という、非常に魅力的なコンセプトのレッスンだったので、先々タイミングとご縁が合えばその時に。それまでは、相変わらずひとりでコリコリやっていきましょう。歌を聴いたり聖書朗読をかけ流したりしながら、色々新しい言語に浸っています。一方で、学生時代に専攻の小テスト対策でやってたように、単語や活用を書いて書いて書きまくって覚えたり、文法書を読み込んだり、辞書を引きながらテクストを読むという作業も、時間をとってやらねば、語学なんてものは上達しませんわね。浸っているのと、上達するのは、全くの別物。

 

もうすぐ乾燥が止まったら、家に帰って風呂入って寝る。

一時保護で「おかえり」

先月、3ヶ月ぶりに里子を預かった。去年うちに来た子の1人が、2回目の委託ということで。2週間強の期間だったが、当然のように前回よりも成長していて、歩けるようになっていたり喃語がたくさん出てきていたりしていた。離乳食も進んでいて、1日3食パクパクと食べていた。食べることが大好きなようで、レトルトパウチのものをものの10分程度で完食する。そのあと哺乳瓶で粉ミルクを与えるのだけど、恍惚として両手で持って飲んだりしていた。

一方、改めて複数の子供の育児の大変さを実感した。夫婦二人でもこれだけ大変なのに、ましてや年子を抱えるシングルマザー・ファザーのご苦労といったら!育児をしながら家事も行い、そして在宅で仕事をする。想像しただけで気が滅入る。いつかは手が離れていくのが子育てだろうけれど、乳飲み子のときは先も見えない気分だ。

そして、一時保護を経験して、制度的な疑問も浮かんできた。一時保護の間は、レスパイトケアや養育支援員の制度を利用することができず、里親宅で委託解除となるまで面倒を見なければならない。どうしてもという場合、児相と相談はできるのだけれど、制度としてそういう支援の利用のハードルがあるのとないのとでは、心理的な負担が全く違う。これから児相にも意見として出してみて、何ができるのかを考えてみたいと思う。

「やる」「やらない」を巡って

白か黒かを決めるだけの時に二人で相談して決めることは、簡単そうに見えて難しいし、一方で決めてしまうだけならそんなに難しいことでもない。どちらか一方が腹の中で既に結論を出していて、それでも相談する時には、その腹の中で決まった結論を覆すことはほぼ不可能と考えて良い。余程重大な考慮点を見落としていたなら話は別だが。

打診を受ける受けないの話も、最初に話を聞いた方が既に答えを出していて、あくまでも相談という体で話を持ってきても、すでに相手が決めた答えがどうしても受け入れられないなら、強く「いやだ」という他ない。「できる」「できない」の話でいくと、「できることしかできない」という構えに対抗する手段など無い。「できる」「できない」に対抗できるのは、「したくない」でしかないのか。

もっとも、向こうも「したい」をベースにこちらに相談に来ているわけで、それに対して「できない」という百の理由を述べたところでなんの進展も望めない。「やればなんとかなる」という言葉の強さである。

結局は、やりたいことしかやれないし、できることしかできない。したくないこともできるけれど、やれないことは逆立ちしてもやれない。ということは、自分が「やれない」と思っていることの大半は、本当にやれないのではなく、「やらなくとも良いこと」あるいは「やろうとすればできること」のどちらかで、本当にやれないことは、例えば急に100キロのバーベルを上げるとか、結局身体的な限界に関することになるのだろう。お金の制限だって、本当にやりたければ借金してでもなんでもするのだろうし。

今日は、以前に一時保護で預かった子供の再預かりの打診をきっかけに、色々と考えた夜でした。

西の空に浮かぶ満月

昨日は義母の誕生日会を自宅で。午前中、娘とミサに行った後、バースデーケーキを二人で買いに行き、午後に妻がスーパーをはしごして買い出しをしてから、夕食を作ってくれた。その間に、洗濯物を干したり布団を干したり、娘と大喧嘩したり等々。

10時過ぎに娘と一緒に布団に入り、5時過ぎに起き出す。お祈りをしてから散歩がてら近所のコンビニまで行って新聞を買いカフェラテを飲む。今日は1月17日。阪神大震災から27年目の記念日である。珍しく起きていたので、発生時刻の5時46分に黙祷を捧げる。

西の空に満月が輝いていた。明け方に、沈む前の満月が煌々と輝いているのを見るのは初めてたっだ。世の中は動き始め、でもまだ真っ暗で、そして普段見ることのない方角に大きな満月を見つけた時は、なんだか得したような気分だった。特定の形の月を特定の方角に見つけるのは、特定の時間帯でないと出来ないことだ。太陽は晴れてさえいれば、朝東の空に登り、日中に南を通り、そして夕方に西に沈んでいく。それは常に大きな丸い形。それはそれで、お天道様、とありがたく思うのだけれど、お月様の満ち欠けは昔から好きな天体現象である。

さて、仕事をしよう。

河川敷でのご来光

元旦に続いて、今朝も多摩川まで早朝ランニング。今日は日の出前に家を出たのでご来光を拝めた。元旦だろうが1月16日だろうが、くっきりと晴れ渡った東の空に登るお日様を見るのは、やはり気持ちのいいものである。

妻と出会って丸6年である。6年というと、小学校に入学して卒業するまでの月日だ。あっという間に時間が過ぎていった。これからも、笑いながら共に時間を過ごしていきたいと思う。

これから洗濯物を干して、娘を起こしてから教会へ行く。果たして娘は起きられるだろうか。元旦・2日とごミサに与っての新年だったが、やはり日曜日のミサに行くことは大事にしたい。神様の目とか存在を感じることで、前に進めることがたくさんある。家で祈ることも出来るけれど、ごミサに与り、共同体として祈ることはまた別物である。パワーをいただける。そのような感覚。

 

とりとめのない朝の日記。

雪の日に公園で

昨日は久しぶりの大雪。住まいのあたりは6cmくらい積もっただろうか。妻は外で仕事、こちらは在宅勤務の日だったので、娘と二人きりだったけれど、雪が降ってきたよと教えると大喜び。風邪の治りかけにもかかわらず着ていたパジャマのままベランダに飛び出して踊っていたので、思わず大きな声を出してしまった。こちとら、ビデオ会議中で結構追われていたというのもあり。

またやってしまったなぁと思う。こうやって、一つ一つ彼女の喜びを減じてしまっているのだ。

すぐに、大きな声を出してごめんねと謝ったが、もちろん彼女は彼女の思いをぶつけてきた。目に涙を浮かべながら。ゆきがふってきたからおそとでおどりたくなっちゃったの。パパおこってるきもちがした!(「感じた」を彼女は「きもちがした」という)

最近の彼女は、親が怒ることに非常に敏感になってきたように思う。こちらも、どうしてイライラするのかとか、大きな声を出してしまうのかとか、わかるようでわからない時が多い。大声出しても悪循環に陥るだけで良い結果につながることなんてないのに、ね。

レフェリーでも同じなのでしょうか。大声で威圧的に選手と対峙する必要がある「時もある」だろうけど、それが選手への対応のデフォルトではうまくいかん。そもそも、そういう役割ではない。

こちらに余裕があるときは、娘と一緒になってふざけながら、何かになりきったり設定を二人で考えたりして、彼女にハウスルールに沿ってやるべきことをやらせられるのだけど、寝る前の歯磨きとか咳止め用にヴェポラップを塗る時とか、なかなか布団に入らなかったりとか、色々積み重なるとこちらの小さい器からはすぐに水が溢れてしまう。

そういえば、彼女にも彼女なりの器があるようで、そちらは逆に思いっきり遊べた・遊んでもらえたいうことで満たされないとダメみたい。振り返ってみると、夜にぐずったりするときは、たいてい日中退屈してたり父親と遊びたいのに遊んでもらえなかったり、そんな時だったりする。

話を戻して、そんなこんなで雪を見て小躍りした彼女の出端を折ってしまったものの、そのあと二人でアパートの前の小さな公園に行って、一緒に雪と戯れた。昼過ぎはまだ1cm程度だったけれど、日暮れ間際に再び行った時にはあちらこちらに雪だるまだったり大きな雪のボールが転がっていたりしていて、通りがかった年長のお姉ちゃんと一緒になって雪を投げ合ったりして遊んでいた。父親は父親で、やはり久しぶりの雪で少し嬉しくなっていたのと、娘が雪で遊べるまでに大きくなったんだという感慨に浸りながら、せっせと雪だるまを作っていた。そして嬉しそうに写真やビデオを撮って、自分や義理の両親とのLINEに送っていた。

子守りをして仕事をして雪で遊んで、そのあとコインランドリーまで雪道を歩いていき、色々あって身体よりも頭が疲れ切って早々に寝たのだけれど、まぁ雪を楽しめたようで親としては達成感があった1日でした。

2022年幕開け

今年は、PositivityとCommitmentをモットーに、朗らかに過ごしていきたい。

自分のやりたいことだけではなく、やらなければならないことをできますように。

自分のことばかりでなく、周りの人の幸せも考えられますように。

思い上がることなく、低く水のように生きられますように。

一つでも、この世界に良きものをもたらすことができますように。

人を愛することを、学べますように。

 

 

主にありて

 

 

自分達で企画して、青春の思い出、子育ては親育ち

今日は審判の研修会。班ごとの当番制で、審判員自ら企画運営を行う形式のもの。その研修会の本番が終わった。10月の半ばから約2ヶ月の準備を経て、本番を迎えたが、概ね好評でホッと胸を撫で下ろしている。肩の荷が降りた感じ。

大学時代は、よく専攻の飲み会の幹事を喜んでやっていたけれど、こういう仕事のようなものの企画運営と言うのは、振り返ると初めての経験だった。飲み会の幹事なんていうものは、結局みんなが楽しく美味しくワイワイ出来てりゃいいわけで、押さえるところだけ押さえて、最後には足が出た分自分で補えばええわって言う覚悟さえあればなんとでもなる。でも、こういう研修会となると、全く話は違ってくる。まぁ当たり前のことですが。

自分達で企画して運営・発表まで行う研修会は、場を用意されたところに参加するより数倍自分ごとになっているので、色々やってる間にあっという間に時間が過ぎていった。細々としたテクニカルな部分にも気を遣ったし。

12月に入って特にこの1週間は、今日にいくつもイベントや締切が重なった関係で、とっても忙しく日が過ぎていった。一応ひと通りそれぞれのプロジェクトなどを終えたけれど、思い知らされたのは、焦らずひとつずつ片付けていくことでしか目的地には辿り着けないですよという、至極自明なことです。まずは具体的に身体を動かす。紙とペンを用意して、書き始めてみる。そしてひとつずつひとつずつ、時にはある一つのことがトリガーとなって全く無関係のことを思い出したようにする事もあるかも知れないが、それも含めてひとつずつ丁寧に。そのうちフロー状態にうまく入ることができれば、予想外なところまで物事が捗るんじゃかなろうか。

また、最近仕事においてうまくいかないことが続いたりしていたのだけれど、「自分vs相手」で向き合ってしまう癖がかなり強いことは意外な発見だった。つまり、すぐに防御体制に入るというkとです。そうなってしまうと、これはもちろん相手があることですから、どんどん手詰まりになって煮詰まっていき、最後には二進も三進もいかなくなっちゃう。そうではなくて、いかに相手と同じ方向=前を向いて協力・協働していくか。難しい物事を進めていく上では、そこがポイントになると考えている。「勇気づけ」というとアドラー心理学の術語のように聞こえるが、how to encourage the person to get the result you want to achieveというような事かなぁと。

話は変わりますが、昨日は新宿まで髪を切りに行って、そのあと友人の作品展を覗きに銀座まで。久しぶりに一人で街にお出かけして、独身時代の思い出に浸っておった。パーマを当てたらすっかり又吉みたいになりました。マスクをしてると特に。昔よく行ったカフェは、店員さんに知ってる人も居なくなり、店に入ったのも中途半端な時間帯だったのもあって、何か注文しづらくって、タルトとカプチーノを食べただけでそそくさと出てきてしまった。あの頃は楽しかったなぁと、6-7年前を思い出していた。振り返ると、僕は少し遅めの青春をやっていたのでしょうか?反抗期も20代半ばを過ぎて経験したし、ひょっとしたら何かにつけていちいち少しズレてるのかも知れません。よぉ知らんけど。すっかりご無沙汰だった友人も元気そうで、相変わらず素敵なご縁に恵まれてる様子が何より。昔の写真とかを眺めながら、また来年は、あの時のご縁が何か形になったり皆んなで集まったりと、少しずつ動きがありそうな予感。

来週は、職場のチームディナー。この夏に退職された元部長と元課長のお二人の送別会と、新たに入ったメンバーの歓迎会を兼ねて、貸切レストランで。ワクワク。気づけば、東京の営業チームでいちばんの古株になってた。まだ4年目なのに。色々とチャレンジは続きますが、臨機応変にやっていかねばね。

今年は川崎でゆっくりと年末年始を過ごします。年明けには娘のバレエの発表会に親がこちらに来るし。「娘のバレエの発表会」とか自分が言う日が来るなんて!!という気分ですが。通っているバレエの先生も幼稚園の教育方針も、子供をとても尊重していることが手に取るようにわかり、懐の深さに感銘を受けるばかり。園長先生に感心したのは、入園式の挨拶の時に、まず最初に子供達に目線や声色を合わせ、「わたしの仕事は、あなたたちを、しあわせにすることでーす!」と、言葉だけでなく身体全身からそのメッセージを全力で伝えようとしておられ、そして実際に発信されていたことでした。その挨拶を聞いただけで、「この幼稚園で良かったね」と得心がいった次第。最近は、9月の登園自粛に始まり、里子受け入れとか風邪引いたり、治ったと思ったらまたぶり返したりを繰り返していて、なかなかリズムが作れていない。でも、登園時間に間に合わせようと言うのをやめて、その代わりに毎朝園に電話をして、「すみません今日も遅れて登園させます」と伝えている。一応、連日のことなのですまなさは感じながら、そこまで苦にならないのは、ことあるごとに先生方が子供たちに「幼稚園に来たくても来たくなくっても、先生達は誰々ちゃんの味方だよ」と伝えている姿を目にしているからです。ましてや、遅れて登園する園児が見受けられるとか、そういうメッセージが発信されることはないので、そういう方針で教育をしてくれているのはありがたいことだよと嬉しく思っている。

そして家でも、怒ることを目的にしてしまっていないか、傾聴ができているか、どうしても伝えないといけないことを相手が聞けるような体勢になる手助けを出来ているか、そういうことを反省する毎日である。

 

午後8時台の外食、里親ライフ、一期一会

オフィスを8時半過ぎに出て、階下のレストラン街にあるうどん屋で夕飯を済ませた。夜8時を過ぎて店内飲食ができることに、少しウキウキする。隣の店舗には、ハイボールの看板が店先に立っている。当たり前がなくなった時よりも戻ってきた時の方が、より感慨深い。先日は、薬局でラグビーの代表戦の中継が流れていたのを見たが、スタンドがかなり埋まっていることに嬉しくなった。このまま新たな波が来ないで、終息に向かいますように。

養育里親のことを書く。3月末の登録から半年の間に、一時保護委託という形で、4人の赤ちゃんを預かった。最初の3人は2週間前後だったが、最後の女の子は6週間。それぞれのケースで事情が異なり、委託解除のタイミングはマチマチだが、依頼はいつも当日。一時保護の特性上、そういうものである。

背景事情は異なるものの、皆1歳未満の乳児たち。どの子も可愛い。時が経つにつれて、愛着が大きくなっていくし、やはり送り出す時は少し寂しい気持ちになる。我が娘も4人の里弟妹との交流を通して、この半年で本当にお姉さんになった。自身の中では色々と押し殺している感情があるのかも知れないけれど、親の世話の仕方を見ながら、哺乳瓶でミルクをあげたり、泣いてるところをあやしたり、離乳食をあげたり。ベビーフードの白いお煎餅は僕も大好きなので、ベビと娘と3人で時々食べた。妻はチョコレート。

しかしながら、赤ちゃんを預かる度に娘が寝不足になり毎度毎度風邪をひいたりしているので、妻と相談して養育里親はいったんお休みしようということになった。妻も、そして自分も、依頼が続いたものだから、家の片付けやら模様替えやら、手をつけたいことが出来ていないし、なにより少し疲れてしまった。そんなだから、二人でよく、ワンオペでの2人以上の子育てなんて考えられないね、と話をした。人一人の世話でもてんやわんやなのに、2人とか3人とか、みなさんどうしてはるんやろか。

一時保護委託は基本的に乳児が対象なのだが、1日あたり1,920円の日当が支給される。それで、ミルクやらオムツやら全てを賄うのだけど、僕たちは安すぎるというふうに感じている。決してお金目当てで養育里親をやっているわけではないけれど、結構トントンくらいの収支になるのでもう少し金額を増やしても良いのではと思う。

里親について書こうと思いながらなかなか文章にまとまらず、ようやくある程度文字にできたので、8月に途中まで書きかけたものもついでに残しておこうと思う。

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いま、9ヶ月の赤ちゃんを預かっている。

前の記事ではサラッと書いただけだったけど、この4月から川崎市の養育里親として認定され、活動している。活動といっても、別にどこか他所に出向いて何かをするわけではなく、他所の子を家に迎え入れて養育をすることです。これまでに2人お預かりをして、今、和室の布団と襖の隙間に嵌まり込んでスヤスヤ寝ている男の子で3人目。

毎回、児相からの打診は昼前くらいにあり、「こういう事情の子がいるのですが、今日から受け入れ可能でしょうか」と、当日にやって来る。そうなると、大抵はバタバタします。1人目の時なんかは、ちょうど僕が洗礼を受けるために一人で大阪に帰る当日だったので、新幹線を最終に遅らせて、急遽オムツなどを買いに走ったり、家の片付けなどをやっていた。

そういうわけで、少し前まで4歳の一人娘仕様の家だったり子育て状態だったのが、また急に乳児を養育する機会に恵まれている。赤ちゃんを受け入れる度に感慨深いことの一つが、粉ミルクでの育児が僕たち夫婦にとってどれだけ楽かという事です。僕たちの娘は哺乳瓶の乳首を全く受け付けず、直接母乳のみだったので、毎晩毎晩妻が横になりながらお乳を与えている横で、授乳のできない父親は無力感でいっぱいになっていた。ようやく娘が大きくなってきて、離乳食が終わって色々食べられるようになったり、言葉を交わしながら一緒に遊べるようになってきて、本格的に僕自身の育児がスタートしたような感覚でいた。

そんな娘の育児だったから、赤ちゃんのミルクをささっと作って、妻が外出中でも哺乳させることが出来ることに、いちいち感動している。「おぉ、なんと楽なんだ」今日も、午後に妻が娘の矯正歯科の受診に自由が丘まで行くというので、その間抱っこ紐で背中に赤ちゃんをおぶりながら仕事をしていた。こういう時に、昇降式のデスクを買っていてよかったなぁと実感する。

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一時保護委託が解除になるときには、児相からケースワーカーが自宅まで引き取りに来て、委託中の様子など少し話した後、最後はタクシーに乗り込むところまでお見送りをするのだけど、その別れはいつも「元気でね」というものである。ほぼ確実に二度と会うことはないから、「またいつかね」とはならない。グローバル化が進み、遠い外国に帰ったり移住したりする友人とも「またいつか会おうぜ」と言えるこの時代に、再会を想定できない別れを立て続けに経験したこの半年でもあった。その度ごとに、不思議な気持ちになる。委託最終日の早朝、別室でミルクを飲ませた後に膝の上で寝かしている時など、「君がここにおるんも今日が最後かぁ。もう二度と会わんのやなぁ」などとしみじみとしている。

3月に祖母を二人立て続けに亡くした時は、年齢から多少なりとも予期していたことでもあったが、天国から見守ってくれてるというふうに感じるところがあり、今生の別ではあったが、絆や結びつきは変わらずそこにあった。あるいは、死という形で一つの区切りを迎えることで、物理的には会えなくとも精神的には近くに感じることができる様になったのかもしれない。反面、1歳にならない赤ちゃんを送り出すときには、彼・彼女の人生はこれからも続いていき、自分の人生も続いていくのに、その二つの人生が再び交わることは、ない。まさに一期一会である。

去る6月には、ご近所さんとのお別れもあった。お向かいのマンション、うちよりひとつ上の階に住むお兄ちゃん。歳を訊くと20代前半だといったが、時々ベランダ越しにやりとりがあった。昨年の緊急事態宣言中、よくベランダで娘とお絵描きをしたり家族三人でお昼のピクニックをしたりしていたが、お兄ちゃんの姿を認めると娘が大きな声で「おーーい!おにぃちゃーーん!」と呼びかけるものだから、向こうも無碍にはできず、色々と応えてやってくれていた。ときには、娘が自慢するその日のお洋服に対して、遊びに来ていたと思しき彼女と一緒に「かわいいねー」などなど、非常に愛想良くしてくれていて、妻と僕も大変良い印象を持っていた。そのマンションは単身向けと思われるが、頻繁に布団が干されていたり、植木鉢がベランダの塀の上にポツンと佇んでいたりしていたのもまた好感が持てたのだけど、晴れていたのが急に天気が変わって雨が降り出した時など、布団が濡れるのを心配したりもしていた。今年になって我々も少し心理的な距離が近くなってきた時など、妻がベランダから僕に向かって大きな声で「雨降りそうだねー!」といって、それとなくお兄ちゃんにも雨が降りそうだと伝えたりもしていた。終いには、「おーい!雨だよー!」と呼びかけてもいた。おばちゃんパワーw(本人談)。

その日もまた、雨が降りそうだというのでベランダ越しに声をかけたところ、実は今度引っ越すという。それを聞いた妻は、その晩、眠そうな娘を励ましながら、お兄ちゃんにカードを作ってあげていた。翌朝、まだ引越し作業中なのを確認して、我々のマンションの前にある小さな子供広場で遊びながら、お兄ちゃんが出てくるのを待って、無事にカードをわたすことができた。娘の記念にと写真を撮ってもらったら、向こうも思い出にと写真を撮ってくれたのは、親としても大変嬉しいことだった。そして、カードのお返しにと、彼女がお土産にくれたというエジプトのパピルスのレプリカをくれた。結局、お互いに名前を名乗ることも、もちろん連絡先を交換することもなく、プレゼントとお返しをそれぞれの手元に、お互いの健康を祈りながらの別れとなった。

里親の話から一期一会の話になってきたついでに、もう一つ。高校や大学のリーグ戦の主審を担当すると、副審と第4審はたいてい両チームか、あるいは他校の選手が来る。その大半が、じゃんけん負けで資格を取得させられたなどというきっかけで審判をしに来ているので、当然モチベーションは低い。そんな彼らと一緒に、90分のゲームを担当する即席の審判団をリードする立場にあるのだけれど、最近は、「今日だけ、この2時間ちょっとの間だけ、同じテンションで一緒にやってくれ」と頼みながらモチベートしている。こんな暑苦しいオジサンとやるのは、これが最初で最後やから、と。そうすると、彼らが僕の話を聞く姿勢や注意の向け方が、心なしか試合に対して前向きなものになるように感じるから不思議である。審判の役割とか責任とか、もちろんそういう話もするのだけれど、その前提に、一期一会という切り口で関係を築くのも効果的である。そういう関係性を土台として、具体的な依頼事項などの話が彼らにもスッと入りやすくなるのではないだろうか。

とりとめがなくなってきた。寝よう。明日は金曜日。天気予報は晴れ。洗濯できるのが嬉しい。そして週末は、オンラインの研修と高校生のゲームがあり、来週水曜日から10日間、年末年始の代わりに帰省。6-7日の週末は両日とも堺の某サッカー場にて終日オジサンたちの大会の審判。ワクワク。

2021年上半期振り返り

今日から2021年下半期。やはり区切りが良いので、上半期を振り返ってみる。

 

1月
お正月。年始に1本記事を書いていたけど、あまり覚えていない。昨年末の仕事上での失敗を踏まえて、色々とプロセスの改善に取り組み始めた気がする。

 

2月
養育里親になるための研修を終えた。昨年の8月くらいから動き始めた家族のプロジェクト。審判のオンライン座学研修で多大な刺激を受ける。新シーズンからの活動再開に向けての意欲が増した。学ぶことと実践できることはまた別の話で、常に試行錯誤。あと八王子の義姉のところにお邪魔した。

 

3月
この月はなんと言っても弔事に尽きる。二人の祖母が相次いで帰天。父方が享年96、母方が同91。最後は同じホスピスにお世話になっていたので、連れ立っていかはったのでしょう。最初の父方の祖母の葬儀は自分だけが大阪に行ったけれど、母方の祖母の時には妻と娘も一緒に来てくれた。葬儀後1週間ほど、家族3人で実家でお世話になる。在阪中、動物園に行ったり、昔かかっていた整体に連日通ったりと、地元ならではの過ごし方。両親も、うちらの世話に忙殺されて気が紛れたのであれば良いが。
そんな3月だったけれど、合間に某ミュージックビデオに家族そろって出演したり(バレエの先生からのご依頼で、たくさんの家族が参加)、練習試合で審判活動の再開もあった。盛り沢山な月でしたね。

 

4月
復活徹夜祭にてカトリックの洗礼を授かる。代父にはサッカー部の同期が遠路遥々北海道から来てくれた。まったく個人的なことだと思っていたが、思いの外に皆さんから祝福をいただき、とても感動的なものでした。両親をはじめ、ごミサにわざわざ足を運んでくださった方々、まったく面識がないにもかかわらずお祝いに手作りのクッキーをくださったシスター、それから代わる代わる祝福の言葉をかけてくださった信徒の皆さん。「共同体」というものの大きさを実感したひとときでした。個人的には、高3以来お世話になってきた神父様のもとで洗礼を授かることができたことが、非常に嬉しいことでした。
それから、娘の入園式。4/15に無事入園式を迎えることができ、その翌週には4歳になりました。本当にすくすくと育っていて、父親としてこんな幸せなことはない。入園式前の2週間、養育里親に認定後すぐに一時保護の依頼を受けて、11ヶ月の赤ちゃんを預かった。娘にとって、やはりいろいろな葛藤があったようだけど、最初の山を乗り越えた後一気にお姉ちゃんになったように思う。実際、4回目の誕生日を迎えると、「もう4さいだから!」を連発していて、頼もしい。
あとは、公式戦の割当で本格的に審判活動を再開しました。復帰初戦は、やはり審判は楽しいなぁという実感で、改めてライフワークとして大事にしていこうと思った次第。

 

5月
娘が幼稚園で風邪をもらって帰ってきて、そこから自分も喉が痛んだり鼻水がとまらなかったり。発熱がなかったものでそこは幸いだったけれど、万が一を考えて割当を2試合キャンセルした。妻も週末ごとに体調が思わしくなく、幼稚園生活が始まって最初の疲れが一気に出てきたのかも知れないと思った。
幼稚園は大好きなようで、毎朝機嫌よく登園している。送りはこちらの任務。雨の日も少なく、自転車でワイワイ言いながら、時には後ろで歌っているのを聴きながら、5分ちょっとの道のりを行く。
幼稚園が始まってから、朝の身支度や食事、その他日常のいちいちにおいて、娘に対する期待値が急に高くなっていたように思う。こちらからは、幼稚園に入園した、もう年少さんなんだという区切りを感じてのことだろうけれど、彼女にとっては、例えば3月の自分と5月の自分で急にできることが増えるわけでもないだろうに、迷惑な話である。もちろん、日々できることが増えているのは確かなのだけど、こちらが勝手に高めた期待を押し付けることはお門違いという話。その辺りを、大変に反省した。
あと、日曜日のごミサに、娘と一緒に行きはじめた。なんだかんだ、父親と一緒にお出かけするのが楽しいという感覚なのかしら。でも食事前のお祈りは、見様見真似でしているのが愛らしいし、やはり子は親の鏡だと改めて実感。言葉遣いとか、振る舞いとか、よぉ見とるね。

 

6月
仕事での大きなプロジェクトが本格的になってきた。まだまだ5合目の少し手前?くらいの進捗だけど、7月末のプレゼンに向けての土台づくり。
審判は、カテゴリの異なる試合を3週続けて担当。ホップステップジャンプではないけれど、先週末の試合はなかなか手応えがあった。手配いただいた映像を見返すと、もちろん疑問に思う判定もあるけれど、一方で現場での感覚は、後半戦に向けても大事にしたい。

 

まぁこんなもんだな。それにしても、月並みだけど本当に時間が過ぎるのが早い。特に、9時に寝かしつけしながら自分も寝てるもんだから、すぐに1日が終わる。引き続き健康に留意しつつ、家族みんなで笑って過ごしていきたいものです。

年始、早10日。

1月9日(土)

  • 起床後、少しお仕事
  • 洗濯、布団干し
  • 朝ごはんはシリアルビュッフェとフルーツ
  • 娘と絵の具で色ぬり
  • バレエ送迎(スキップできた!)
  • 遅めのお昼ごはんは、冷凍グラタンとベジ
  • 棚の改造
  • 娘とお風呂、バスボムで遊ぶ
  • 新しく購入したデスクの組み立て
  • 梱包材のお掃除
  • 晩ごはんは冷凍チャーハンと冷凍のカツなど
  • 洗い物、お片づけ
  • 寝かしつけ(昨夜は興奮していてなかなか寝なかった)
  • リビングで妻とワイン飲みつつ本(アイスランド語文法)
  • カーペットで寝落ち

なかなか盛りだくさんな1日。娘はバレエとっても楽しんでいる様子で、見ているこちらも嬉しくなる。先生のことも大好きみたい。

新しいデスクが来て、ようやく在宅ワークの体勢が整った感じ。購入したのはガス式昇降デスク。立った姿勢でもキーボードをたたけるくらいの高さが良い。足元もすっきりしているし。以前はニトリのNクリックカラーボックスでやっていたけど、中途半端な高さで身体がボロボロになってしまった。整体の先生にも、これまででいちばん状態が悪いと言われる始末。審判をしなくなった影響もあるとのことなので、少しずつだけど走るようにもしている。

お正月は自宅でゆっくり。義理のご両親のところでおもちをいただき、妻の従兄弟家族と晩ごはんをご馳走になったり、お世話になりっぱなし。8日は義母の誕生日でまたまた晩ごはんにお邪魔した。ケーキを買って行ったけれど、シャトレーゼスポンジケーキはあっさりしていて美味しい。

仕事は、昨年末グダグダだったので、年始から心機一転、やり方を少しずつ改善しながら丁寧な仕事を心がける。デスクも整ったし。

 

もうすぐで、Duolingoのフィンランド語コースもおしまい。初級くらいまで来たかな?どうだろう。

人生のミッション

というほどんたいそうなことではないけれど、
くだらないしょうもないことを言って
1日1回我が家に笑いを提供することは、
大事にしたいなと思ったし、
それができてみんな元気でいれば
もうそれでいい気がする。