谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

ささくれ、コンパニオン、"Sorry, Sir"

人差し指のささくれを引っ張る。すると、そのうち血が滲んできて、しばらくすると血小板の作用で出血が止まる。

 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
朝から、粥屋でおかゆを食べる。ピータンと鶏肉とパンが入っていて、丼一杯で腹がふくれる。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
とてつもなく広い展示場を歩き回る。時々商談をし、名刺を交換し、コンパニオンを眺め、商談し、名刺を交換し、カタログをもらい、これまの人生でいちばん不味いスパゲッティを食べ、また歩き回り、商談をしてカタログをもらう。宿の近くで小籠包と点心を食べ、ビールを飲んで風呂に入る。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
朝起きてフルーツを食べ、シャワーを浴び、審判の用意をキャリーバッグに詰め込み、前日にアイロンを当てたシャツを着て髪の毛をジェルでセットし、鼻毛を切って眉を整え、ジャケットを纏って家を出る。革靴の音を響かせながら、少し背筋を伸ばして歩いて駅に向かう。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
言葉の響きに惚れ、音を学び、音の生成を身に付け、文法体系を知り、法則の類推と検証を繰り返し、読み、書き、聞き、話し、身体中をそのリズムに染み込ませ、脳波の設定をアジャストしていく。その作業を、アプローチを変えながら愉しんでいく。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
山手線に乗り、有楽町で降りて駅前の果物屋でフルーツを食べ、本屋に行って一時間ばかり本屋の空気を味わい、ふらっと店を出て左に曲がり、銀座を行き交う人々の間を歩きながら取るに足らない事を考えては忘れ、ワインを飲みパスタの大盛りを食べ、デザートとカプチーノを頼んでから新宿に移動し、四谷まで散歩をしてフラフラと飲み屋をハシゴしながら家に帰る。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
飛行機を降り、入国審査場までの長い通路をてくてく歩いて行って「VISITOR」の列に並び、はしゃいで規制線を超えて列に割り込もうとした弟を慌ててつかまえに来たインド系の9歳くらいの男の子が、警備員に"Sorry, Sir"と言っているのを聞いて感心し、入管の仕事っぷりに衝撃を受けながら荷物のピックアップをして、シャトル列車に乗り込む。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
好きな女の子に花を買い、仲の良い友達にバースデーメッセージを送り、ご無沙汰している先生に手紙を書かなくてはと思いながら先送りにし、ペットボトルの水を一口飲み、海外の友人たちに思いを馳せ、マンションの管理人さんに朝の挨拶をし、大きなスーツケースを持った旅行客と一瞬目が合った後にすれ違い、野良猫に愛想をし、たまに行く中華屋の店員さんに注文し、流暢な英語を話す人に嫉妬し、粋にスーツを着こなす大人に憧れ、誠実なベンダーの対応に感心し、カスタマーサービスのオペレーターの苦労を想像しつつも対応に不満を表し、マスタベーションをし、試合のウォーミングアップ後に脈拍を計って体調を確認し、腹が減ったら飯を食う。そうして、ここまで書いてようやく、「「生きている」ということを実感する」というフレーズが出てこなかった事に気付いて唖然とし、またペットボトルの水を一口飲み、そのうち眠たくなり、当たり前の様に来ると思っている明日の予定を頭の中でざっと確認してから、ベッドに入る。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
父親が会社に行くのを見送り、衰弱して苦しむところを家族に見せることもそれほどなく、弟がバイトに出掛ける前に、母親と弟に看取られながら、息を引き取った。最後まで、よく出来た子だなと思った。律儀な子。
 
 
後に残されたものの使命は、弔うことと、しっかり生きていくこと。そして、悲しみを味わい尽くすこと。目をそらさずに。
 
 
今日、実家の飼い犬が
還っていった。
 
 
亡骸はいつもの寝顔と大差がないが、それを眺めるこちら側が全く別人になってしまっている。「この子はもう、ここにはいない」。けれど、「存在するとは別の仕方で」、我々の現実世界に存在し続ける。