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谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

青春の曲、あるいは、その曲を聴いていた時期を「青春」と呼ぶ

考えてる事

ひとつ確かだと思う事は、人が人生でどんな曲をどのように解釈しながら聞いてきたかによって、その人の生き方がある程度定義されるということだ。同様に、どのような物語をどのように解釈しながら読んできたか、どのような絵をどの様に解釈しながら鑑賞してきたか、そういったことに人の生き方はある程度定義されると思う。そしてまた、新しい種類の歌だったり物語だったり絵だったり、あるいはまったく別の表現物だったり、そういうものに出会うたびに、その生き方の定義のされ方が更新されていくのだと思う。

 

僕が初めて買った洋楽のアルバムは、リッキー・マーティンのアルバムだった。1998年のワールドカップのテーマ曲が、とてもキャッチーで好きだった。その時は、誰のなんという曲かも知らなかった。翌年、Livin' La Vida Locaをラジオで初めて聴いた時、一瞬でハマった。すぐにCDショップに駆け込み、歌詞カードを眺めながらひたすら聞き込んだ。そして、前年のワールドカップの曲も彼が歌っていた事を知った。そこからスペイン語に魅了され、スペイン語圏の歌手を知るたびに彼らのアルバムを聴き、歌詞の内容を味わってきた。

 

リッキー・マーティンにせよ、フアネスにせよ、エンリケ・イグレシアスにせよ、あるいはシャキーラにせよ、タリーアにせよ、はたまたジプシー・キングスにせよ、実に直截的な歌詞で、どストレートで、思いの丈を詞に込めた、そんな曲がとっても多い。そんな曲を聴きながら10代後半から20代の前半を過ごしてきたものだから、勢い自分のスタンスも多かれ少なかれ影響されるもので。

 

とはいえ、そういった直截的な言葉遣いだけが表現方法であるわけもなく、実に様々な表現方法が人生には隠されている。表現方法というと少しざっくりしているけれど、自分が口にしたり文章にしたりできる表現の幅というものもまた、どのような作品に接してきたかに依るところが大きいと思う。

 

前にも書いた様な気がするけれど、人生のどのタイミングでどんな芸術作品に触れる事になるかどうかは、あらかじめ決められている様な気がしてならない。あるいは、どこかで神様か誰かが全ての物事のなりゆきを眺めていて、適切なところで適切なものを自分の目の前に差し出してくれている様な。そんな気がしてならない。

 

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「思う」と書くことと、「思って"いる"」と書くことで

出てくるニュアンスの違いが、新しい発見だった。