谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

4年目のコインランドリー、旅人と、麻婆豆腐

東京のマンションでの生活が、4年目に突入した。2012年12月1日、新幹線に乗って東京の新居に移動した。前日は確か、遅くまで飲んでいたように思う。その2週間ほど前には、地元のバーの仲良いグループでホームパーティーをしていた。居心地のいい素敵な空間と、美味しい食事と、誕生日プレゼントと、そして、こうして集まれるのが当面最後になるという寂しさと、いろいろな思い出のある食事会。東京行きの新幹線は、留学先へ向かう機内とは比べ物にならないくらいの寂しさがあったように記憶している。

 

東京での初日は、バスタオルとかそういう生活雑貨がまだ揃っていなかったので、近所の古い銭湯に行った。その銭湯は、2年ほどの全面改築期間を経て、この春リニューアルオープンした。初めてそこに行った日からちょうど3年後の昨日、その銭湯の建て替え時に新たに併設されたコインランドリーで、洗濯物が乾くのを待っていた。旅人とともに。

 

その前日、つまり11月の最後の日に、親友からの連絡を受けた。正確に言うと、さらに前日にかかってきた電話に出れず、折り返しの連絡を入れた。その時に、京都からヒッチハイクで東京まで旅をしている一人の男子学生がいて、彼を翌日の一晩だけ泊めてあげて欲しいとのこと。東京にたどり着く前には彼の両親のもとに泊まっていたそうで、話を聞いていて僕に紹介すると面白いだろうなと考えたそうだ。

 

その旅人の名前はショウタ君と言った。22歳で、僕よりも少し背が低く、大きなバックパックと一眼レフのカメラを持っていた。そして、いかにも旅人っぽい帽子を首にかけていた。彼と地元の駅で待ち合わせて、僕の家まで一緒に歩いて帰った。郵便物の受け取りがあったので、それを待っている間に前の晩のリゾットの残りや茅ヶ崎の農園で買った柿を出した。

 

洗濯をしたいというので洗濯機を回し、郵便屋さんが来るまでの間に先に行って乾燥機を回しておいてもらった。そうして洗濯物が乾いてから、駅前の中国料理屋に出かけた。僕は麻婆豆腐のセットを、彼は揚げ鶏のセットを頼んで食べた。食べ終わってから家に帰り、順番にシャワーを浴びた。僕は、翌日の弁当用に米を洗ってセットし、日付が変わって電話を一本かけ、ジントニックを飲んだ。彼はお酒を飲まなかった。そしてそれから、寝袋を用意してやって彼がそこに、僕はベッドに入って眠りについた。翌朝、7時に起き出して炊きあがったばかりの米を弁当箱に詰め、残った分で小さいおにぎりを3つほど彼に持たせるために握った。リンゴを切り、コーヒーとクラッカーで二人で朝食をとった。駅まで一緒に曇り空の下を歩き、改札の前で別れた。

 

彼と一緒にしたことといえば、たったのこれだけ。時間にして半日と少しばかり、寝ている時間を差し引けば7時間程度の時間。決してワイワイ盛り上がったわけでもないし、かといって気まずい沈黙が支配したわけでもない。お互いに言葉を選びながら、自分の中のイメージをより正確に言い表すフレーズを探しながらのコミュニケーションだった。

 

一つ考えたことは、話すリズムやリアクションの醸し出すニュアンス、それに対する意味づけの仕方は人それぞれで異なっていて、自分の中の「ものさし」で測って相手の受け取り方を推測しすぎるのは、ナンセンスだということ。

 

決して、相手を慮ることや言葉遣いを考えることを否定するのではない。例えば、あるリアクションが自分には少し否定的に映ったとしても、本人にとってはごく普通の、あるいはこちらに対して配慮をするが故のものだったりすることが、ままあるのではないかということだ。

 

もう一つ彼と話す中で考えたことは、仕事の採用選考に受かることと、自分という人間に対する大きな意味での承認を同一視しているのかもしれないということ。これについては、もう少し時間をかけて考えていくことになると思う。記録のために、ここに残しておく。