谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

一年の計は元旦にあり、ではないけれど。

2017年は一つもブログを書かずに終わった。それだけ心にゆとりがなかったか、身体が疲れていたか、思いを巡らせる時間がなかったか、まぁその辺りの理由でしょう。

 

今年は、実質的な仕事始めが火曜日なので、比較的長い休暇となった。一人の時間も持てたので、二、三考えたりした事を書き記す。

 

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先日、大腸ガンを治療中の人と会った。曰く、薬の副作用で足が腫れて靴が履けない、と。靴のかかとを踏む人にも、色々な理由があるんだなと思った。そして、自分の知らない事情の多い事を、改めて思い知る事となった。

 

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今年の正月は、弟夫婦も帰省して来て、一族4世代9人での賑やかな年越し。この5月には、弟の子供も生まれてくる予定。初めての光景に、意外と感動してた。うちの両親は、かなり早くから「孫は諦めてる」と言っていたので、こういう正月を迎えられて本当に嬉しく思う。

 

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娘は8ヶ月半となり、スクスク元気に育っている。鼻風邪とか湿疹とか、そんなのはありつつも、総体的にはものすごく健康で有難い。そしてかわいい。とっても可愛い。夏に家中カビが生えて引っ越しを余儀なくされたけど、その影響も今のところはなさそうなのでホッとしている。

 

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去年は、年始に退職した人の業務を全て引き継ぎ、仕事内容がガラッと変わった。それまでの2年程「暇だ暇だ」と言っていた反動かと言うくらい忙しくなり、あっという間に1年が過ぎていった。でも、この1年の経験は、自分の引き出しを確実に増やしてくれた。貴重な年だった。

 

自分は、目標を決めたそばから他のことに気がいく性質なので、ハナから目標設定はしない。しない代わりに、自分のセンサーの感度だけは、常にいい状態をキープしておきたいと思う。

 

人参ぶら下げられても、その人参くれたら良いのにと思うだけだし、基本的に気が乗らないとやる事もやらない。それがやらなあかん事であれば、しばし塩漬けというテイで放置。逆に、直感的に「これはGoや」とか「今や」と感じた時は、チャカチャカとやって片付けて来た。

 

まぁなんだかんだでやってこれているのだし、多少なりとも頼まれごとをされていると言うことに自信を持って、これまで通りのスタンスでやっていけばいいのだろうと考えている。

 

そんな年始の連休中日。

ドラゴンズじゃないよ。

結婚しました。他、2016年のまとめ

こんな幕開けの2016年でした。

 

taninho.hatenablog.com

 

渋谷のマクドナルドから始まった今年は、あれよあれというまに年の瀬を迎えました。本当に盛りだくさんな1年でしたが、何よりも最大の出来事は、結婚したということです。

 

私、結婚しました。

 

ついこの前まで、40歳くらいまでは結婚せんでええかなとか言うてたんですが、人生わからないものです。月並みですが。

 

10月からの3ヶ月は、家探しと2回の引越しとその間の両家顔合わせとなんやらかんやらで、あっという間に過ぎました。 夏は夏で、父親の入院がありました。3週間あまり。なので、下半期が濃密すぎてびっくり。

 

改めて年頭のブログを読み返してみると、去年の秋以降はなんだかんだ苦闘しつつも、水面下では静かに、けれど確実に、物事が進んで行ってたんかなぁと言う気がします。自分の内面の話ですが。そして、一つの区切りとして、結婚という形で現れてきた。そう言う感覚。

 

12月の初めに、奥さんの実家の近くに引越しを済ませ、ようやく新居での日常に慣れてきた頃です。約4年間活動してきた飲み歩きの部活から、もっぱら帰宅部にシフトチェンジしています。仕事の帰りに銀座通ることもなくなったからね。お財布にも優しい部活動です。実に。

 

審判は、今年も1年怪我なく、無事にシーズンを終えることができたので良しとします。資格の更新も滞りなく終わり、来年も活動できます。家庭との折り合いのつけ方がいよいよ実際問題となってきた感じがひしひしとしている今日この頃。

 

 

taninho.hatenablog.com

 

この記事書いたのが、とても遠い昔のように感じられる年の瀬です。明日から1月3日まで、宇都宮にいるお義姉さんの家で年越し。こたつが待ってくれているようで、わくわく。お正月はこたつでみかん食べながら、天皇杯の決勝戦を見るんやで。会場が56年ぶりに大阪なのに、大阪帰ってないやつ。かと言って、実家におっても観に行ってたかどうかは、疑問ですが。

 

結婚すると家族が増えるものですが、せっかくなのでこの機会にと思って親族の呼び名をスペイン語の辞書で調べて観ました。

こちら。

 

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義姉はcuñada(クニャーダ)だそうです。初めて使うわ(笑)

こうやってボキャブラリー増えていくんだな。

 

 

皆様も、残りわずかですが無事故で。

良い年をお迎えくださいませ。

 

谷 充展

早10月です。だからどうって話ですが。

9月があっという間に過ぎ去り

今年もあと三月。

言うてる間に年賀状が売り出される。

 

最近、身体の調子が

なかなか思わしくない。

と言っても、筋肉的な話。

 

長時間、縮こまっての

デスクワークが原因かしら?

あるいは、ベッドでの

ごろごろスマホでせうか。

 

話は変わるけれど、パスタが好き。

ラーメンは、発作的に食べたくなるけど、

パスタは毎日ランチに食べてもいける。

ソースでバリエーションが出るからかなぁ。

麺の形も色々あるし。

 

蕎麦もいけますな。連日。

鴨南蛮とか、カレーせいろとか。

天丼セットお蕎麦温かいのん、とか

リッチな気分よね。

 

お昼に、豆腐やら納豆やらを食べると

やっぱり午後の腹持ちが全然違う。

パスタランチは美味しいけれど、

4時ごろにはお腹空くの。

それで、おやつ食べて胃が大きくなり

どんどん食べてしまう悪循環、

たまになります。

 

寝れへんけど寝る努力はしてんねんで。

 

スペイン語は、発音やアクセントが

本当にルール通りパッキリしているので

そこの苦労は他の言語より

多少軽いと思います。

 

スペイン語で、ロマンス語系の時制体系を

活用も含めてとことん身につけると、

その後の展開も、より楽しくなると思う。

 

逆の順番で学習したことがないけれど、

イタリア語を本気でやってみると

スペイン語の感覚が活きてくる場面が

多々あるのです。

 

先日、お土産で村上春樹

仏語訳を頂きました。

 

Fin Des Temps(la)

と、

Au sud de la frontière à l'ouest du soleil

 

それぞれ、

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

国境の南、太陽の西

です。

 

これで、『世界の終わりと…』が

スペイン語、イタリア語、フランス語と

3つ揃ったので、

読み比べながら、楽しくお勉強を。

 

このやり方の難点は、

音が抜けていることなのだけど。

音読しようにも、その言語の

ネイティブのリズムや発音を

身につけいないと、なかなかね。

 

柿の種がピーナッツと(中略)床に落ちたときの音

柿の種梅しそ6袋詰めというのを先日スーパーで見つけて買った。(正確にはお母ちゃんに買うてもろた。オカン、ありがとう。)

 

一袋目を開けようと、ご丁寧にハサミで袋の端を切っていたら、切れ端を握ってしまっていて無惨にも中身が床に散らばった。ザーッ。柿の種がピーナッツと共にフローリングの床に落ちたときの音、という音があることを知った。

 

今日、小腹が空いたので、また別の袋を開けた。今度はハサミを使わずに手で開けたので、無事に開封。さてさて、イタリア語の単語帳でも読みながらっと、、、あ。

 

ザザッ。

 

中身の6分の1程が袋からこぼれ落ちた。が、なんとか肘と脇腹の間で受け止め、被害を最小限に食い止めることに成功。いそいそと掃除機を持ち出して、ついでにテーブル周りをお掃除。ブォー。

 

ふぅ。。。

 

柿の種を食べるときは普段にも増して気が緩んでいるのかしら。

 

 

先日、六本木ヒルズジブリ展を観に行った。お友達のおかげで順番待ちの列に並ぶことなく入れて、満喫。プロデューサーの鈴木敏夫とコピーライターの糸井重里との直筆のやり取りの展示が一番面白かった。映画のコピーが決まるまでの試行錯誤や関係各所との調整の難しさ、そういうものが生々しくやり取りされている資料である。

 

それにしても、鈴木敏夫の字体は本当に素敵だなぁと感動していたのです。かな遣いとか、語の選択も含めて。

 

ジブリの作品の中で格段思い入れが強いのは、もののけ姫。初めて映画館で観たジブリ作品だったということ、そしてあまりの感動に、そのすぐ後にもう一度母親に映画館へ連れて行ってもらって観た映画だということ、そういう記憶のせいである。

 

 

そうして、こういう思い入れや思い込みを栄養にして、この記憶の細部が再構築されていき、固定されていく。だから記憶は、当てにならない。

 

 

お酒が飲めません。あと1週間。抗生物質を処方されたために。副鼻腔炎、慢性化する前にキチンと治したいなぁ。慢性化しとるんかしら?いずれにせよ、蓄膿になる前に。何が辛いって、意外と目の圧迫感が最も辛いのです。30過ぎても洟垂れ小僧ですから鼻水が止まらんのはどーってことないのよ。

 

 

稲垣えみ子の『魂の退社』を読みました。

魂の退社

面白かったです!

(小学生の読書感想文でも、もう少しまともな感想書いてるよな。)

銭湯に行きそびれる、鼻炎、クラッカーの塩気

今日こそは銭湯に行くぞと意気込んで帰ってきたはいいけど、書庫代わりにしているシューズクローゼットで本を読み始めてしまい、結局行きそびれた。そこそこハードなトレーニングの後だったから行こうと思ってたんだけどなー。

 

機種変更したiPhone、いいね。いい。容量に余裕があるから気にしないで済むし、毎月のデータ通信量も1G増えた。国内なら定額カケホーダイだし。大変ポジティブな機種変更でした。

 

明日からリオ五輪が始まり(朝の10時から男子サッカーですね)、日曜には甲子園が開幕する。インターハイのサッカー競技はあっという間に終わり、そうこうしているうちにヨーロッパのシーズンが開幕する。

 

デポル(Deportivo La Coruña)は監督が代わり、それなりに主力も残留しつつ補強もしつつ。今年はさくっと勝点40を取って、トップ10に入れるといいなぁ。清武がセビージャに移籍したし、リーガも見所また増えた感じ。乾はエイバルで2年目、どうだろうか。

 

洗濯機が止まって、洗われた洗濯物が干されるのを待っているのだけど、まだ気が向かずにベッドでごろごろ。シャワーを浴びて、このまま眠ってしまえればどんなに気持ちいいか。

 

鼻炎っぽくてちょっと辛い。副鼻腔炎かしら。目の下あたりに圧迫感がいらっしゃって。いつも左眼。

 

さ、ちゃっちゃと洗濯物干して寝よう。明日も起きて朝ご飯食べるねん。最近は、丼にプレーンヨーグルトとイチゴジャムを混ぜて、そこにバリバリに砕いたクラッカーを1袋入れるのがマイブーム。美味しくて腹持ちが良い。クラッカーの塩気がミソです。

 

 

 

寝よ。

iPhone6s、散髪、カチャカチャ

iPhoneを新調した。5sから6s。以前から、6や6plusの大きさを忌み嫌っていたのだけれど、急に5sのサイズに飽きてしまい、画面を大きくするために機種変更をすることにした。

 

機種変更をするのか、機種を変更するのか。語の座りがいいのは後者だけれど、携帯の機種を変更するという意味では「機種変更」とした方がしっくり来る。こういうのが気になって、文章が進まないこともままある。

 

まだ6sのサイズ感に慣れないのか、キーボードの両端にあるキーの押し間違いが散髪している。ちがう、散発だ。そうだ、髪の毛もそろそろ切りに行きたい。

 

7月の始めに思い切って髪を短くしたら、思いの外しっくりきて心地よい。寝癖がつくとごまかせないので、朝起きてからシャワーなり洗面台なりで髪を流す必要があるのだけれど、とは言え、やはり前髪が額や目にかからないというのは、この暑さを考えると切って良かったなと思う。

 

先月は本当にあっという間に過ぎていった。何よりも、父親が東京出張中に軽い脳梗塞血栓(診断は脳静脈洞血栓症でしたの)で倒れ、そのままこちらで入院となったことが大きい。幸い、後遺症もなく3週間と少しの入院を経て、先週末に大阪の自宅に帰ることが出来た。けれど、59歳になって毎週末にサッカーの試合をやり、同級生とバンドの練習をして、焼酎を毎晩飲んでるような元気な姿しか見ていないものだから、さすがに狼狽したし、色々考えた。

 

とにかく、お年頃の皆様。人間ドックと合わせて、脳ドックも受けた方がいいかも知れません。父親の場合は、頭痛が2,3日続いたあとにてんかんのような発作で倒れたのですが、最初は熱中症を疑っていたようで。無理せず早い段階でプロに診てもらうことを選ぶことも、大事な選択です。異常なし、という所見はお金に換えられない価値があるでしょうからね。

 

今日から8月。今年は出張がないお陰で、3年ぶりにお盆を日本で過ごせる予定。今のところ大阪に帰る予定はなく、関東でのんびりと過ごしているはず。

 

新しい携帯にうれしくなって、ついついカチャカチャ触りたくなって、ブログも書いてみた。ちゃんちゃん。

 

 

レインブーツ、選挙演説、ママン

天気予報が、今日は大荒れの天気になりますと言っていたので、最近買ったばかりのお気に入りのレインブーツを履いて出かけた。レインブーツというとオシャレに響く気がするけど、長靴というとなんだか別のものに思える。オシャレな長靴のことをレインブーツと言うのかしら。

 

それはさておき。

 

木曜日からママンが家に泊まりに来ている。今日はいつものお店でランチをした。僕はインドカレーを頼み(イタリアンのお店だけど、ここのカレーは美味い)、彼女はパスタを頼んだ。デザートにレモンムースパイを頼み、それぞれカプチーノとアイスコーヒーを飲んだ。

 

そんなイタリアンのお店はこちら。

三笠会館 » イタリア料理 Italian Bar LA VIOLA

 

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銀座の数寄屋橋交差点では、今日も選挙演説をやっていた。基本的に街宣車の音量は我慢できないけれど、今日そばを通った政党の演説は、そこに掲げられたプラカードも含め、僕の胸の奥底にある大切なものを汚れた手で遠慮なく鷲掴みにするような、そんなバイブスを辺りに撒き散らしていたように感じた。格段に身体の力が失われるような演説を聞いたのは、初めてだった。

 

あなた方の成し遂げたいことを達成して、そしてどうしたいのか?それがまったくわからなかった。そして、彼らの理屈も、承服しかねるものであった。

 

そんな演説にも、歓声が上がり拍手が巻き起こっている光景を前にして、暗澹たる気持ちになった。あくまでも、僕個人の感想ではあるのだけれど。

 

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中瓶1本空けて家に帰ると、ママンがシャツにアイロンがけをしてくれていた。まぁ頼んでおいたんだけど。そんなママンは、近所の銭湯でゆっくり風呂に浸かっているところだ。心労が溜まっているだろうから、少しでもリフレッシュしてもらいたい。

 

明日は選挙に行く。そして僕は、野党に入れる。

 

30年、歳をとるということ。

今年、31歳になる。4歳下の弟は、すでに27歳になった。まぁ、お互い30年前後生きてきたことになる。

 

30年生きるということは、どういうことなのか。

 

ある人にとっては自分の家族ができる頃で、決意を新たにする時かもしれない。ある人にとっては、30代の10年をどう過ごそうか、人生の設計に初めて向き合うタイミングだったりする。

 

またある人にとっては、すでに20代中頃から携わってきた仕事の中で自分のポジションや役割、そういったものが確立されてきて文字通りフル回転で仕事に励んでいる時期かもしれない。

 

30歳という年齢は、参議院議員都道府県知事の被選挙権が与えられる年齢でもあり、すべての種類の選挙に立候補できるようになる年齢でもある。

 

あるいは、大学を卒業して新卒で就職し、4-5年働いた後に旅に出たくなって本当に旅人になる人も中にはいるだろう。

 

僕の頭で思いつくのはこれくらいだけど、他にも色々な30年の生き方があり、それぞれの人がそれぞれの仕方で30歳を迎えるのだろうし、あるいはそもそもそのような区切りを意識しない人も、もちろんいるだろう。

 

僕たちは、少なくとも僕の場合は、30歳近く年の離れた父親がいなくなることを想像させられるという事態に直面して、30年生きるということはこういうことなのかという話をした。そういう形で30歳という年齢を実感したんだ。

 

不思議な感じがした。

 

 

属性と個人、ラクしようとするなよ、塀を越えて行け

鏡の前で数十分かけて髪の毛をセットしたにもかかわらず特に何も言われない時もあれば、寝起きのボサボサの頭のまま出かけた時に限って、「なんかいいね、その髪型」とか言われたりする。

 

見聞きするいろんな事柄を自分に対して言われているかのように捉えて、それまでの自分の言動を恥じ入り自己嫌悪に陥る人もいれば、周りの言うことを歯牙にも掛けず、好きなことを好き勝手にしゃべり、好き放題する人もいる。

 

満員電車の中にいる人達の中にも、過激派に所属して機関紙の発行に勤しんでいる人もいれば、家族を亡くしたばかりの人もいるだろうし、創作料理の新しいメニューを常に考えているシェフもいれば、日常に飽き飽きして不満を抱えながらその不満のはけ口を探している人もいるかもしれない。

 

家路に黒猫を見かけても、不吉な印だと顔を顰めて素通りする人もいるし、大喜びでその猫をあやす人もいるだろうし、冗談半分で大きな音を立てて猫を驚かせる人もいる。

 

属性としての心情と、その人個人としての心情は決して同一のものではないはずである。しかし、属性でまとめて考えていかないと、話を先に進めることができない場合が多くある。

 

この話の結論はまだどこにもないけれど、通奏低音のようにこのところ考え続けている。

 

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眠れない夜が続いている。暑い。蒸し暑い。夜になると思考が活発になる。大抵、碌なことは考えていないけれど。

 

自分で自分の周りに高い塀を拵えておきながら、身動きが取れないと思い込んでいる。あるいは、頭では塀の外に出たいと思っておると考えているのだけれど、実際には思っている以上に塀の中の居心地がいいだけなのかもしれない。

 

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ある高校生と話す機会があった。大学でもサッカーを続けたいという彼は、こう尋ねた。

 

「大学に入るまでに何をやっておけばいいですか?」

 

もちろん、大学サッカーを選手として経験したわけではないので、わからないと答えておいた。その分、審判として学生リーグに携わった数少ない経験から感じたことを話した。そして最後に、まとめるようにこう付け加えた。

 

「まぁ、ラクしようとせんことやな」

 

こう言い終わった時、いろいろな記憶や観念が頭の中を流れていった。まるで、自分が自分自身に語りかけていて、その言葉を受け取ったように。

 

思い出したことの一つは、高校3年の担任の先生のこと。先生は、僕が滑り止めの受験で11月頃に合格した際、入学金の納付を止めるよう僕にアドヴァイスした。「お前はすぐ楽な方に流されるからな。入学金を納めたら、行きたい大学の試験日(翌年の2月終わり頃)まで保たんやろ」というようなことを言われたように記憶している。

 

おかげで、志望校の試験日まで保険がなく、落ちたら浪人という状況だったので、それなりに準備もして無事に合格することができた。そして、その大学で審判を始め、多くの言語を学び、いろんなバックグラウンドの人達と語り合い、恋愛をし、アルバイトをし、ゼミで怒られながら卒論を書き、その延長線上に今の自分がある。

 

もちろん、それではこの先もこの延長線上にあるかどうか、それはまた別の問題ではある。しかし、とは言ってもそれまでの来し方を振り返って物事を決める時には、少なからず影響を与えられるのだろう。

 

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カラスが鳴くから

帰りましょう。

そのカラスは、

夜明け前から

啼いている。

 

身体は寝たがっているのに、

頭が冴え渡る。

 

と、書いたそばから

睡魔がやってくる。

 

いったい、何を書いているのやら。

なんでもないようなことが、幸せだったと思う

と歌ったのは虎舞竜。懐かしいな。

なんとも思っていなかった日常の所与的な状況が、ある文脈に乗った瞬間、大変貴重なものであることが見えてきたりする。

逆に、貴重だとか何だとか頭で考えて意味付けしているようなものは、意外とそういうものでもなかったりする。自分の人生に与える意味合いというような面で。

外国語が出来ることであったり、楽器が得意なことであったり、身体が柔らかかったりプレゼンがうまかったり、話し上手だったり手先が器用だったり。

経済的に裕福であったり、チャレンジングな環境に身を置いていることだったり、あれやこれや厳しく叱られたり。

危険な恋に身を焦がしていたり、相手を振り回していたり、感情に揺さぶられたり、理性で気持ちを押さえ込んでいたり。

いずれにせよ、自然体で居られる場所を見定め、そこから汲み取ることが出来たことは、遅かれ早かれ何かしらの影響や新しい展望を与えてくれる気がしている。

そして同時に、居心地が悪そうな状況に敢えて身を投じることで感じる事も、同じくらい重大な意味を与える事もある。

まぁ結局は、どっちも大事というお話し。

夕焼け小焼けの赤とんぼ

雨上がりの夕焼けを見ながら、バス停に向かって歩いた。いつもは電車の駅を目指すのだけれど、乗り換え無しで目的地に到着できるバスを選んだ。今日はゆっくり座って、移動したい気分。

初めて通った、住宅街の道。小綺麗な戸建ての家が並び、車の通りは少ない。大使館もあるような、閑静な住宅街。道幅が狭い分、生活の息づかいが感じられるような気がして、歩くのが心地いい道。

いつもとは違うルートを選んだりだったり、新しい道を歩くことは、惰性に感じられる日常にアクセントをつけてくれる。新鮮な感覚が、心をリフレッシュする。


誰が為に笛は吹かれるのか。

スペイン人の友達とサッカーを観に行った帰り、バルで飲みながら話したこと。

「何のために、誰のために審判はおると思う?サッカーそのもの?選手?観客?」
Para quién o para qué está árbitro en fútbol?

直近の試合でモヤモヤしていたものを少しでも咀嚼したくって。

曰く。
「選手をコントロールするため。選手が怪我をしないように。サッカーのためとは言わない。サッカーは常にサッカーであり続けるから。」

オーケー。じゃあ選手が怪我をしないためにどうして選手をコントロールする必要がある?

「コントロールする者がいないと、選手がどこまでなら許されるのか試してきて、プレーの激しさに歯止めが利かなくなるから。」

こういったことを、一人の在日外国人としての視点で語ってくれた。日本で暮らして実感する文化的な違いや背景といった切り口で。

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いちいちの正誤を気にしてると、全体の絵が描けなくなって逆に試合の醍醐味を削ぐことがある。しかし、全体としてのコントロールの土台には、一つ一つの正確な判定の積み重ねが相当大きな割合を占めていることもまた事実である。

予防的なレフェリング、と口で言うのは容易い。けれども、紋切り型のフレーズで水に流すわけにはいかない。

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味方が再三再四のビッグチャンスを外し続け、レフェリーは的確な判定で試合をコントロールしていても、最後のワンプレーで際どい(けれども正しい)PKを取られて0-1で負ければ、矛先はレフェリーに向くだろう。それが嫌なら、辞めるしかないでしょう。

問いと答え、マニュアル通りの応対

チャージ式のカードで支払おうとして残金が足らなかったので、
「不足はいくらですか?」
と聞いたところ、
「カードには***円残っています」
と、特大の笑顔で言われる。

つまり、
会計金額から
カード残金をその場で
計算する
羽目になった。

計算が面倒だという話ではなく、質問と答えが噛み合わないことにとても疲労感を覚えるとともに、その日1日の疲れもあって、とてもイライラした。

後日、同じ店でもう一度同じケースがあり、今度も不足額を訊くと、
「チャージされますか?現金で支払われますか?」
と言われたので、
「い・く・ら、足りませんか?」
と再度、尋ねる。

教育やマニュアルの効果なのだろうが、とても親切丁寧な対応が名高いチェーン店ではあるけれど、そんなの多少できなくていいから、訊いたことに答えてくれ。

そして、我が身を振り返って、自分がどれだけ人の質問に対して的確に答えられているだろうか、自信がなく暗澹たる気分になる。

ぽろぽろ

12月はほぼ毎日ブログを書き、1月もちょこちょこ書き、2月になると数本の記事のみで、結局3月は全く文章が出てこなかった。そういう時間がなかったわけではないけれど、なんとなく書かなかった。

日々、色々なことは起こるし楽しいこともあるし考えることも当然ある。ただ、何よりも本を読む量が少なくなると、確実に文章のアウトプットの量も減る。ネット上でいくらテクストを目にしていたとしても。

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自分から会いに行かないとどうしても会えない人や物がある。場所など、向こうから会いに来てくれる可能性は全くない。そうした対象に会いに行くことを大事にしていこうと思ったのは、昔お世話になったお店に顔を出した時。

来年、両親が還暦を迎える。赤いちゃんちゃんこは、お爺ちゃんお婆ちゃんにあげるものだという認識だったので、少し驚いた。これまで生きてきた時間が急に眼前に迫ってきたような気がして。

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2月おしまい、奇跡的な確率の出会い、Something Great

今月初めにこんな記事をあげました。


そんな20時定時も今日でおしまい。明日からは19時定時なので、少しは仕事のあとも何かまとまった事を出来るかな。

まぁ定時の話はさておき。

なんと言うか、好きだとかあれやりたいとか何食べたいとかどこ行きたいとか、そういう事は口に出していきたいなと思うのです。

僕は、輪廻転生とか過去生とか、そういうものもあるんだろうなっていう考え方だけれども、だからと言って今回のこの人生は一回きりなのであって。

メンターの人の教えの一つに、「人は、生まれて出会って死んでいく」というものがあって。

いくつだったか数字は忘れたけれど、膨大な数の中のたった一つの精子とたった一つの卵子が受精して人一人が生まれてくるわけで。同じように別の精子卵子の奇跡的な出会いの結晶である別の人とある時たまたま出会ったのだから、人生のどこかで同じ時空を共有したもの同士、お互いに祝福し合えたらいいなと思う。

目の前に空き缶が落ちているのはたまたまだけれども、それを拾って捨てるか素通りするかはアナタの決断次第であって。

閉まりかけたドアに駆け込むか次の電車を待つか、それもお前次第であって。

僕らはよく、Something Greatとか学生の頃言っていたけど、そういうものを信頼して生きていきたいと思うし、素の自分を否定せずにそのまま受け止めてあげたいと思う。

例によってコインランドリーで洗濯物が乾くのを待っている。どうしようもなく眠たいけれど、やる事をやってしまえば後ろめたさがなくなってぐっすり眠れるよ。