その姿勢をとる一点に関しては
能動的である。
どれだけ積極的でも、
怖れに駆動された積極性は
その時点で消極的だ。
二元論だったり
対義語であったり
一見、対称に見えるものでも
実際に逆を取れば
非対称的な帰結になることが
ほとんどではないだろうか。
そう言えば昔、
片足のアキレス腱を断裂した後
もう片方のアキレス腱も切って、
却ってバランスが良くなった
と言うような事を言った
野球選手がいた。
そんな事を思い出した。
対称的とか対立的
と言うことよりも、
補完的であることを
見落とすな。
そして、その補完し合う
二つのものは、
両立することが可能なのだ。
そして、新たな第三の何かを
生み出すことも、あり得るのだ。