谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

子供を通して自分を眺めることについて

人生の意味はアウトプットにある。

 

今朝、モーニングページを書いていて到達した暫定的な結論。これまで、本を読みSNSを眺めブログを読み耽り、はたまたYouTube動画を貪るように見てきたが、どれもインプットばかりである。一方で、時々ブログ記事は書いていたものの、ほとんどアウトプットがない。なにもそれは、書くことだけには限らない。人と会って話す、手を貸す、お世話をする、料理を作る、教える、傾聴する、問いかける、などなど、やり方や行為のベクトルは様々かも知れないが、谷充展という一人の人間の外部に向けて働きかけるという観点からは、どれもアウトプットと呼べるような気がする。

 

審判の現役を(ほぼ)引退した。年始に自身と対話する中で自然と出た結論。まだ一月ほどしか経ってはいないけれど、振り返ってみても、絶妙なタイミングだったと思う。

 

最近は、週末になると娘と一緒に過ごしていて、子供と過ごしているのだなぁという実感が湧く。思いの外楽しいし、娘の嬉しそうな顔を見ていると幸せになる。自転車に乗せて近くの施設や公園に行き、好きに遊ばせて満足したら帰る。一緒に遊ぶこともあるし、他の子に声をかけて友達になって子供同士で遊んだり。

 

だいたい6時ごろに家路につき、帰ってきてから夕飯を食べ、風呂に入る。それから歯を磨いて寝かしつける。朝は朝とて、だいたいこちらが朝食を用意して、二人で食べることが多い。

 

今では本当に一丁前の口を聞くようにもなったし、ある程度こちらの怒るラインを図りながら駆け引きもしてくる。彼女は「けんか」というが、こちらが大声で叱ると向こうも大声で思いの丈をぶつけてきて、それから自分の部屋に逃げ込む。娘が部屋に行ってしまったら、父親が迎えに行くのがルーティンである。扉をノックし、部屋に入り、こちらの考えを話して向こうの気持ちを聴く。娘は、自分の感情を第三者の視点で描写するのが得意なのか、少し落ち着いてくると客観的にどういう気持ちだったのかを教えてくれる。それを頷きながら聞いて膝の上で抱きしめると、彼女のホッとしていく様子が伝わってくる。

 

もはや、一連の儀式のようなものになっているが、親に似て瞬間湯沸かし器なのか、一気に「跳ね上がる」と、彼女がランディングするのを手伝ってやる必要がある。それは時間を要する作業であり、慌ただしくしているとついイライラしておざなりになってしまうのだが、言っても高々15分程度のものである。そして、ゆっくり話を聞いてハグをすると、その後の気分はお互いに良い。

 

不思議なものです。