旗印、世界の行く末、Volvo・私は回る
旗を掲げること。
それによって進むことができる
時がある。
旗を掲げること。
それだけでは前に進めない
時もある。
旗を掲げて武器を磨き
戦略を練って作戦を立てる。
そしてその作戦を
粛々と実行する。
自分の見ている世界が、
ある時まるっきり
姿を変えてしまうとしたら、
今自分がいるところは
いったい何なのか。
刻一刻と
自分はどこに向かっていくのか。
そして世界は
この世界はどこに
向かっているのか
あるいは同じところで
回り続けているのか。
コンビニのお惣菜も侮れない、シャツとズボンは「履く」のか「着る」のかについて。
平日のランチは、最近ミニストップのお惣菜のお世話になっている。たまたま最寄りのコンビニがミニストップだったのだけど、お惣菜のレベルがかなり高い。旬に合わせて品揃えも変わり、今はサンマの煮付けが一押し。「マジで」うまい。
今日もいつも通りミニストップに行き、好みのお惣菜を一通り盛り付けてから満足げにレジの列に並んでいたら、カップ麺コーナーの最上段にトリコロールが目に付いた。日清フレンチヌードル・海老のビスク味。
美味しかったなぁ、高級なカップ麺という感じ。ものがカップ麺だけに、贅沢感が倍増されるような気がした。
ところで、Tシャツを着てズボンを履くことを言い表したいとき、Tシャツとズボンを「履く」なのか「着る」なのか、動詞の選択はどうするのが正しいのだろう。
家に帰って早々にシャワーを浴び、今日はにゅうめん。そうめんを2束湯がいてから、残り物のお味噌汁の中に投入。あっという間に出汁を吸い込んで、最後は麺だけになりました。2束って結構なボリュームですね。それにカブを一つ、いちょう切りにしてそのまま味噌ダレで。ゆで卵を2つ食べたら、もうお腹いっぱい。
早稲田のモール、トマティーナ、大人になった??
終始低調な、とある土曜日。
久しぶりに、お味噌汁を作る。
カブの皮をむいていちょう切りにし、葉っぱの部分はザクザクと適当な長さに。ジャガイモを2つ、同じように切る。その間に昆布で出汁をとる。半分残っていたタマネギも細切りにして、甘みが出るように。出汁が出たらジャガイモだけ、先に鍋に入れる。
並行して、キャベツのサラダを作る。ざく切りにして、ごま油と塩昆布とゆかりで味付け。ボウルいっぱい食べてしまうくらい、美味しい。
ジャガイモが柔らかくなったら、カブを入れる。それから、タマネギとカブの茎部分を後から追加する。味噌をたっぷり入れて、仕上げる。
ご飯が炊ける頃合いを見計らって、鮭を焼く。ちょうどいいタイミングで焼きあがったら、ご飯とお味噌汁を器に盛って、納豆を添える。
昨晩は、日付が変わってから明け方まで誕生日会。深夜の時間にも関わらず人が集まるのは、主役の人望の賜物。カレー鍋とお寿司のケーキで、気づけば5時間。お酒もそこそこ入って、家路につく。
東京駅を6時前に出たはずなのだけれど、山手線を2周ほど回って、結局帰り着いたのは8時半。そこから3時過ぎまで、泥のように眠る。起き出して、昨夜の洗い物を片付け、残ったお味噌汁とご飯で遅めの朝食を摂る。
熱いシャワーを浴びて気分をサッパリとさせてから、銀座に向けて家を出る。今日はJリーグの優勝がかかった一戦。せっかくなので、パブにてお一人様観戦。その前に、いつものお店で泡を1杯。
試合の内容はとてもフラストレーションの溜まるものだったけれど、それでもパブで見ることは、それだけで楽しいものがある。ハイネケンのボトルを2本飲んで、気持ちよくなったところで試合終了。久々のフィッシュ&チップスも美味しかった。ビネガーが良い。
帰る前にドルチェを食べに立ち寄って、1時間ばかりバリスタさんとお話。お腹がいっぱいになったところで、帰宅。
朝の路地で、
ほんのわずかな陽だまりを求め、
植木鉢の隙間に入っていく
野良猫の仕草が、
とても素敵だった。
ひたすら黙々と、キーを叩く。ZAZのMCを理解したい。
昨日に引き続き、語学の勉強法について。
最近ハマっている方法が、テクストをひたすらWordに打ち込んでいくという作業。学習中の言語のキーボードをインストールし、ただただ写経のように本なり、参考書の例文なり、歌詞なり、とにかくキーを叩いていく。
初めのうちは、フランス語のアクサン付き文字(é, à etc.)のキー位置になれなかったり、スペイン語の逆さまの疑問符・感嘆符(¿, ¡)の打ち方を調べたりしていたけど、今ではなかなかの速度でブラインドタッチができるようになってきた。
またWordの校正機能も役立つ。文章を入力していく中でスペルミスがあるとすぐに赤い波線が教えてくれるので、その都度正しいスペルを意識することができる。
中学・高校の時は、自分の机にひたすらリッキー・マーティンの歌詞を覚えて書き殴っていた。1曲書こうと思うと、歌詞のストーリーや韻の踏み方など様々な情報を動員しないと覚えられない。字面の丸暗記は、できて1コーラスくらいまでだと思う。アルバム1枚分の歌詞をいつでもそらで唱えられるようになれば、それなりの感覚が身についているはず。
来年はZAZのアルバムを1枚覚えてフランス語の勉強でもしよっかな。
ZAZはライブのMCもぜーんぶ、フランス語でした。(笑)
辞書を引く、語学の坑道、どう勉強するか
4年目のコインランドリー、旅人と、麻婆豆腐
東京のマンションでの生活が、4年目に突入した。2012年12月1日、新幹線に乗って東京の新居に移動した。前日は確か、遅くまで飲んでいたように思う。その2週間ほど前には、地元のバーの仲良いグループでホームパーティーをしていた。居心地のいい素敵な空間と、美味しい食事と、誕生日プレゼントと、そして、こうして集まれるのが当面最後になるという寂しさと、いろいろな思い出のある食事会。東京行きの新幹線は、留学先へ向かう機内とは比べ物にならないくらいの寂しさがあったように記憶している。
東京での初日は、バスタオルとかそういう生活雑貨がまだ揃っていなかったので、近所の古い銭湯に行った。その銭湯は、2年ほどの全面改築期間を経て、この春リニューアルオープンした。初めてそこに行った日からちょうど3年後の昨日、その銭湯の建て替え時に新たに併設されたコインランドリーで、洗濯物が乾くのを待っていた。旅人とともに。
その前日、つまり11月の最後の日に、親友からの連絡を受けた。正確に言うと、さらに前日にかかってきた電話に出れず、折り返しの連絡を入れた。その時に、京都からヒッチハイクで東京まで旅をしている一人の男子学生がいて、彼を翌日の一晩だけ泊めてあげて欲しいとのこと。東京にたどり着く前には彼の両親のもとに泊まっていたそうで、話を聞いていて僕に紹介すると面白いだろうなと考えたそうだ。
その旅人の名前はショウタ君と言った。22歳で、僕よりも少し背が低く、大きなバックパックと一眼レフのカメラを持っていた。そして、いかにも旅人っぽい帽子を首にかけていた。彼と地元の駅で待ち合わせて、僕の家まで一緒に歩いて帰った。郵便物の受け取りがあったので、それを待っている間に前の晩のリゾットの残りや茅ヶ崎の農園で買った柿を出した。
洗濯をしたいというので洗濯機を回し、郵便屋さんが来るまでの間に先に行って乾燥機を回しておいてもらった。そうして洗濯物が乾いてから、駅前の中国料理屋に出かけた。僕は麻婆豆腐のセットを、彼は揚げ鶏のセットを頼んで食べた。食べ終わってから家に帰り、順番にシャワーを浴びた。僕は、翌日の弁当用に米を洗ってセットし、日付が変わって電話を一本かけ、ジントニックを飲んだ。彼はお酒を飲まなかった。そしてそれから、寝袋を用意してやって彼がそこに、僕はベッドに入って眠りについた。翌朝、7時に起き出して炊きあがったばかりの米を弁当箱に詰め、残った分で小さいおにぎりを3つほど彼に持たせるために握った。リンゴを切り、コーヒーとクラッカーで二人で朝食をとった。駅まで一緒に曇り空の下を歩き、改札の前で別れた。
彼と一緒にしたことといえば、たったのこれだけ。時間にして半日と少しばかり、寝ている時間を差し引けば7時間程度の時間。決してワイワイ盛り上がったわけでもないし、かといって気まずい沈黙が支配したわけでもない。お互いに言葉を選びながら、自分の中のイメージをより正確に言い表すフレーズを探しながらのコミュニケーションだった。
一つ考えたことは、話すリズムやリアクションの醸し出すニュアンス、それに対する意味づけの仕方は人それぞれで異なっていて、自分の中の「ものさし」で測って相手の受け取り方を推測しすぎるのは、ナンセンスだということ。
決して、相手を慮ることや言葉遣いを考えることを否定するのではない。例えば、あるリアクションが自分には少し否定的に映ったとしても、本人にとってはごく普通の、あるいはこちらに対して配慮をするが故のものだったりすることが、ままあるのではないかということだ。
もう一つ彼と話す中で考えたことは、仕事の採用選考に受かることと、自分という人間に対する大きな意味での承認を同一視しているのかもしれないということ。これについては、もう少し時間をかけて考えていくことになると思う。記録のために、ここに残しておく。
DELE終了、遠足、包丁
Good nightのひと言で。
恋人や友人や家族と会話というものは、ある意味でそこに会話があるのが当たり前というような根拠のない前提があって成り立っている。だから、普通に声をかけるし、会話をする。
パリ、ベイルート、リアクション
*最初に断っておくけれども、今日の記事に誰かを非難するという意図は全くないです。
土曜日。雨のために審判割当が中止となる。
8時前に目が覚めてFacebookを見てみると、パリで起きたテロについての投稿や、欧州各紙のアカウントが続報を流すのがタイムラインを埋め尽くしていた。ツイッターを見ていると、ハッシュタグで#PrayforParisとか色々出ていた。何か、妙な違和感があった。ところで2日前くらいに、ベイルートでの同時多発テロのニュースをYahoo!ニュースで読んでいた。40人前後の犠牲者が出ていたように思う。その時は、SNSのタイムライン上で、このテロに関連する投稿を目にすることはまったくなかった。
そこに、今朝のパリでの事件。その妙な違和感は、初めは誰かを糾弾するようなスタンスを取っていた。「なんでパリだと、そうやってやれ連帯だの黒いリボンだのなんだの、やれ文明に対する攻撃だのなんだのと声を上げるくせに、ベイルートのテロに対してはそうならないんだよ」と言ったようなニュアンスである。しかしながら、即座にこのような他責的な自分の反応に対して、違和感を持った。ちょうど、6月にアメリカ連邦最高裁が同性婚容認の判決を出した際にFacebookのプロフィール画像をレインボー加工することに関して以前書いたのと、同じような感覚である。
もう少し考えていると、ほかならぬ自分自身が、ベイルートのテロとパリのテロに対して、異なる反応を示しているのが見えてくる。同時に、自分のSNSの友達やフォローしている人たちが、国外だとほとんどヨーロッパの国の人たちであることを、再認識した。彼らヨーロッパの人たちからすれば、同じ価値観を共有している(少なくともそう思われている)パリでテロが起こったとなると、他の地域での事件と比べて数倍も数十倍も自分ごとのように思われるだろうことは容易に想像できる。もし、自分のFacebookの友達の半分がアラブ圏の人々だったら、当然タイムラインで目にするパリでのテロに対するリアクションも、ずいぶん違ったものになっていたのだろう。
最初に持った他責的な違和感というのは、ベイルートのテロとパリのテロとに対して自分自身が下す評価の違いにその矛先が向けられていたのだと思う。それはある意味で、国や文化圏に対する親密さの距離感の違いと言える。
プエルト・リコに対して少し特別な感情があるのはリッキー・マーティンの出身地だからであり、スウェーデンに対するスタンスと他の北欧の国に対するスタンスの違いは大学でスウェーデン語を学びスウェーデンに留学していたからであり、スペインと他のスペイン語圏の国に対する愛着の違いには何か理由があり、はたまた自分の大切な友人が過去に住んでいたりした国にはまた特別な感情を持っているのも、そういうことなのだと思う。
自分は、スペイン語を学び、スウェーデンに留学し、ヨーロッパの他の言語を学び、それらの言語を話す人々と友達になり、それらの言語で書かれたニュースを読み、そうやって日々過ごしている。ある意味で、ヨーロッパの国々で起こっていることは、自分自身に起きているのと同次元のものとして捉えている部分がある。一方、中東やアフリカでテロであったり紛争があったりしても、幼い頃からそういうのをニュースで見てきていて、近年でも政情不安だったりデモ隊の弾圧であったり独裁政治であったり、「そういう地域」というレッテルと張っているのだ。
パリで亡くなった人にも、ベイルートで犠牲になった人も、同じように家族がいて友人がいて恋人がいて信じている宗教があって、そうやって日常を過ごしていたことに変わりはないだろう。そしてそれは、世界中の人に取っても同じことが言えるだろう。そういうことを想像しながら物事を考えていくようにしていきたい、そう思った。
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さて、その他日記的に。
お昼間はご飯を食べ、スペイン語のお勉強。いよいよ来週になりました、DELE。ドキドキですね。ライティング対策に、TEDのスペイン語での講演を聞いて内容の要約。スペイン語力の前に、要約力の低さを痛感。話の勘所は何なのか、どういう流れで要約を書くのか、そういう訓練が足らん。たぶん日本語でも苦手なんだろうな。
夕方からお出かけ。今日は四谷のイタリアンレストランで、オリーブオイルのセミナー。みっちり2時間のセミナー・テイスティングの後で、美味しいイタリア料理のコースをいただきましたよ。テーブルをご一緒させていただいた初めましての皆さんも素敵な方々で、楽しい時間を過ごせた夜でした。
帰ってきてワインを飲みながら、テロについて思ったことをブログに書いていたのだけれど、なかなか考えがまとまらず2時間以上もかかった。いろいろ考えが頭に浮かんでは消えるし、思いついたそばからそれに対して自己反駁が始まるので、簡潔に自分の考えを述べることが難しい。過不足なく文字にすることが殊のほか難しいですね。
一応、記事の体裁が取れたので、もうアップして寝よう。
今朝、Facebookに書いたこと。もう一度ここに記して、オシマイ。
"My sincere condolences for those suffered from attacks in BOTH PARIS AND BEIRUT in the last 2 days..."
湯船、思い出、レールの敷設
HBD to me
青春の曲、あるいは、その曲を聴いていた時期を「青春」と呼ぶ
ひとつ確かだと思う事は、人が人生でどんな曲をどのように解釈しながら聞いてきたかによって、その人の生き方がある程度定義されるということだ。同様に、どのような物語をどのように解釈しながら読んできたか、どのような絵をどの様に解釈しながら鑑賞してきたか、そういったことに人の生き方はある程度定義されると思う。そしてまた、新しい種類の歌だったり物語だったり絵だったり、あるいはまったく別の表現物だったり、そういうものに出会うたびに、その生き方の定義のされ方が更新されていくのだと思う。
僕が初めて買った洋楽のアルバムは、リッキー・マーティンのアルバムだった。1998年のワールドカップのテーマ曲が、とてもキャッチーで好きだった。その時は、誰のなんという曲かも知らなかった。翌年、Livin' La Vida Locaをラジオで初めて聴いた時、一瞬でハマった。すぐにCDショップに駆け込み、歌詞カードを眺めながらひたすら聞き込んだ。そして、前年のワールドカップの曲も彼が歌っていた事を知った。そこからスペイン語に魅了され、スペイン語圏の歌手を知るたびに彼らのアルバムを聴き、歌詞の内容を味わってきた。
リッキー・マーティンにせよ、フアネスにせよ、エンリケ・イグレシアスにせよ、あるいはシャキーラにせよ、タリーアにせよ、はたまたジプシー・キングスにせよ、実に直截的な歌詞で、どストレートで、思いの丈を詞に込めた、そんな曲がとっても多い。そんな曲を聴きながら10代後半から20代の前半を過ごしてきたものだから、勢い自分のスタンスも多かれ少なかれ影響されるもので。
とはいえ、そういった直截的な言葉遣いだけが表現方法であるわけもなく、実に様々な表現方法が人生には隠されている。表現方法というと少しざっくりしているけれど、自分が口にしたり文章にしたりできる表現の幅というものもまた、どのような作品に接してきたかに依るところが大きいと思う。
前にも書いた様な気がするけれど、人生のどのタイミングでどんな芸術作品に触れる事になるかどうかは、あらかじめ決められている様な気がしてならない。あるいは、どこかで神様か誰かが全ての物事のなりゆきを眺めていて、適切なところで適切なものを自分の目の前に差し出してくれている様な。そんな気がしてならない。
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「思う」と書くことと、「思って"いる"」と書くことで
出てくるニュアンスの違いが、新しい発見だった。