谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

コンビニのお惣菜も侮れない、シャツとズボンは「履く」のか「着る」のかについて。

平日のランチは、最近ミニストップのお惣菜のお世話になっている。たまたま最寄りのコンビニがミニストップだったのだけど、お惣菜のレベルがかなり高い。旬に合わせて品揃えも変わり、今はサンマの煮付けが一押し。「マジで」うまい。

 

今日もいつも通りミニストップに行き、好みのお惣菜を一通り盛り付けてから満足げにレジの列に並んでいたら、カップ麺コーナーの最上段にトリコロールが目に付いた。日清フレンチヌードル・海老のビスク味。

 

美味しかったなぁ、高級なカップ麺という感じ。ものがカップ麺だけに、贅沢感が倍増されるような気がした。

 

ところで、Tシャツを着てズボンを履くことを言い表したいとき、Tシャツとズボンを「履く」なのか「着る」なのか、動詞の選択はどうするのが正しいのだろう。

 

家に帰って早々にシャワーを浴び、今日はにゅうめん。そうめんを2束湯がいてから、残り物のお味噌汁の中に投入。あっという間に出汁を吸い込んで、最後は麺だけになりました。2束って結構なボリュームですね。それにカブを一つ、いちょう切りにしてそのまま味噌ダレで。ゆで卵を2つ食べたら、もうお腹いっぱい。

早稲田のモール、トマティーナ、大人になった??

おそらく、年内最後の審判割当。90分副審を務めて大過なく終了。天気は良かったものの気温が低く、すっかり身体が冷え切った。

家に帰って風呂を沸かす。テレビをつけると大学ラグビーの対抗戦を中継していたので、湯船につかりながら観戦。早稲田のモール強かったけど、最終的には明治の勝ち。後半はディフェンスが安定してた。ミスもファウルも少なかったし。

サンフレッチェがフェアプレー賞の常連ということも考えると、やはりルールの枠の中でファウルをしない、判定に抗議しない、そういうチームは自ずとポジティブなプレーにエネルギーを注げるように思う。

日常でもまた然り。時に、思いがけないことに出くわし、突発的に怒りが湧いたり愚痴をこぼしたり、そういう場面があるのは仕方ない。それでも、次にどういうスタンスで物事に当たるかという事は自分で選べるはずなので、時間を置いて落ち着かせることも大事。

今日は、旅帰りの友人2人と再会して、土産話を聞きながら軽く一杯。トマティーナ、楽しんだみたいで羨ましい限り。楽しそうに話すのを聞くのは、こっちも楽しくなってくるね。

明日から、また1週間。週末は結婚式で九州まで。お世話になった人にも会いに行くので、今から楽しみ。ワクワク。


****************
ちょっと大人になったと言われ、何が?という気はしたけど、まぁ少しはね、大人にならんとね(笑)またがんばろーっと。

終始低調な、とある土曜日。

久しぶりに、お味噌汁を作る。

カブの皮をむいていちょう切りにし、葉っぱの部分はザクザクと適当な長さに。ジャガイモを2つ、同じように切る。その間に昆布で出汁をとる。半分残っていたタマネギも細切りにして、甘みが出るように。出汁が出たらジャガイモだけ、先に鍋に入れる。

並行して、キャベツのサラダを作る。ざく切りにして、ごま油と塩昆布とゆかりで味付け。ボウルいっぱい食べてしまうくらい、美味しい。

ジャガイモが柔らかくなったら、カブを入れる。それから、タマネギとカブの茎部分を後から追加する。味噌をたっぷり入れて、仕上げる。

ご飯が炊ける頃合いを見計らって、鮭を焼く。ちょうどいいタイミングで焼きあがったら、ご飯とお味噌汁を器に盛って、納豆を添える。

 

昨晩は、日付が変わってから明け方まで誕生日会。深夜の時間にも関わらず人が集まるのは、主役の人望の賜物。カレー鍋とお寿司のケーキで、気づけば5時間。お酒もそこそこ入って、家路につく。

東京駅を6時前に出たはずなのだけれど、山手線を2周ほど回って、結局帰り着いたのは8時半。そこから3時過ぎまで、泥のように眠る。起き出して、昨夜の洗い物を片付け、残ったお味噌汁とご飯で遅めの朝食を摂る。

熱いシャワーを浴びて気分をサッパリとさせてから、銀座に向けて家を出る。今日はJリーグの優勝がかかった一戦。せっかくなので、パブにてお一人様観戦。その前に、いつものお店で泡を1杯。

試合の内容はとてもフラストレーションの溜まるものだったけれど、それでもパブで見ることは、それだけで楽しいものがある。ハイネケンのボトルを2本飲んで、気持ちよくなったところで試合終了。久々のフィッシュ&チップスも美味しかった。ビネガーが良い。

帰る前にドルチェを食べに立ち寄って、1時間ばかりバリスタさんとお話。お腹がいっぱいになったところで、帰宅。

 

 

朝の路地で、

ほんのわずかな陽だまりを求め、

植木鉢の隙間に入っていく

野良猫の仕草が、

とても素敵だった。

 

ひたすら黙々と、キーを叩く。ZAZのMCを理解したい。

昨日に引き続き、語学の勉強法について。

 

最近ハマっている方法が、テクストをひたすらWordに打ち込んでいくという作業。学習中の言語のキーボードをインストールし、ただただ写経のように本なり、参考書の例文なり、歌詞なり、とにかくキーを叩いていく。

 

初めのうちは、フランス語のアクサン付き文字(é, à etc.)のキー位置になれなかったり、スペイン語の逆さまの疑問符・感嘆符(¿, ¡)の打ち方を調べたりしていたけど、今ではなかなかの速度でブラインドタッチができるようになってきた。

 

またWordの校正機能も役立つ。文章を入力していく中でスペルミスがあるとすぐに赤い波線が教えてくれるので、その都度正しいスペルを意識することができる。

 

中学・高校の時は、自分の机にひたすらリッキー・マーティンの歌詞を覚えて書き殴っていた。1曲書こうと思うと、歌詞のストーリーや韻の踏み方など様々な情報を動員しないと覚えられない。字面の丸暗記は、できて1コーラスくらいまでだと思う。アルバム1枚分の歌詞をいつでもそらで唱えられるようになれば、それなりの感覚が身についているはず。

 

来年はZAZのアルバムを1枚覚えてフランス語の勉強でもしよっかな。

 

Zaz

Zaz

 

 

ZAZはライブのMCもぜーんぶ、フランス語でした。(笑)

辞書を引く、語学の坑道、どう勉強するか

少しばかり
語学の学習法のお話を
しましょう。

あくまでも持論ですが。

辞書を引くクセをつければ
必ず語学は上達しますよ。

少なくとも、
単語力は間違いなく
つきます。

僕は、比較的早い段階で
辞書を引く習慣が身について
よかったなとしみじみ思います。

辞書を読む、というのも
よく高校の時に授業中とか
家とかでやってました。

研究社のライトハウス英和辞典が
二色刷りでとても見やすく
パラパラと読んでいたけど、
不思議と「見たことあるヤツ」
が増えていくんです。

自分のこだわりは、
高校を卒業するまでは
電子辞書を使わない
というもの。
見開きで目に飛び込んでくる
挿絵であったり表だったり
そういうものは印象に
残りやすい。

将来、子供ができても
紙辞書の良さを
伝えていきたいなと思います。

とは言え、このご時世
辞書アプリも充実していく
一方です。
僕のiPhoneにも
なんだかんだで10近く
インストールされています。

ヨーロッパの言葉を中心に
多言語を勉強する人には、
Word Referenceという
アプリがとってもおすすめです。

こちら。

MacBookを使っている人なら
デフォルトで入ってある
辞書アプリも使い勝手がいい。

紙辞書、電子辞書、辞書アプリ。
それぞれに特長があります。
いいとこ取りをしながら、
併用していけばいいと思います。

辞書を引くにも、それなりの
コツのようなものがあって、
辞書を引けるようになるだけで
それなりの文法知識などが
身についています。

その上で、辞書に
親しんでいくうちに
益々その言語の世界を
探索していけるように
思います。

最初は、
会話力に直結しなかったり
試験のスコアはもしかしたら
向上しないかもしれません。

でも、確実に、
あなたの中の語学の坑道は、
少しずつではあっても
先に先に掘り進められ、
ある時ひょんなところで
いろいろなものが繋がって
一気に理解が進んだり、
そういう事が起きたりします。

辞書は、手強い相手ではありません。
思った以上に、良きパートナーに
なってくれます。

あなたの語学の旅が、
より一層、芳醇な経験
となりますように。

4年目のコインランドリー、旅人と、麻婆豆腐

東京のマンションでの生活が、4年目に突入した。2012年12月1日、新幹線に乗って東京の新居に移動した。前日は確か、遅くまで飲んでいたように思う。その2週間ほど前には、地元のバーの仲良いグループでホームパーティーをしていた。居心地のいい素敵な空間と、美味しい食事と、誕生日プレゼントと、そして、こうして集まれるのが当面最後になるという寂しさと、いろいろな思い出のある食事会。東京行きの新幹線は、留学先へ向かう機内とは比べ物にならないくらいの寂しさがあったように記憶している。

 

東京での初日は、バスタオルとかそういう生活雑貨がまだ揃っていなかったので、近所の古い銭湯に行った。その銭湯は、2年ほどの全面改築期間を経て、この春リニューアルオープンした。初めてそこに行った日からちょうど3年後の昨日、その銭湯の建て替え時に新たに併設されたコインランドリーで、洗濯物が乾くのを待っていた。旅人とともに。

 

その前日、つまり11月の最後の日に、親友からの連絡を受けた。正確に言うと、さらに前日にかかってきた電話に出れず、折り返しの連絡を入れた。その時に、京都からヒッチハイクで東京まで旅をしている一人の男子学生がいて、彼を翌日の一晩だけ泊めてあげて欲しいとのこと。東京にたどり着く前には彼の両親のもとに泊まっていたそうで、話を聞いていて僕に紹介すると面白いだろうなと考えたそうだ。

 

その旅人の名前はショウタ君と言った。22歳で、僕よりも少し背が低く、大きなバックパックと一眼レフのカメラを持っていた。そして、いかにも旅人っぽい帽子を首にかけていた。彼と地元の駅で待ち合わせて、僕の家まで一緒に歩いて帰った。郵便物の受け取りがあったので、それを待っている間に前の晩のリゾットの残りや茅ヶ崎の農園で買った柿を出した。

 

洗濯をしたいというので洗濯機を回し、郵便屋さんが来るまでの間に先に行って乾燥機を回しておいてもらった。そうして洗濯物が乾いてから、駅前の中国料理屋に出かけた。僕は麻婆豆腐のセットを、彼は揚げ鶏のセットを頼んで食べた。食べ終わってから家に帰り、順番にシャワーを浴びた。僕は、翌日の弁当用に米を洗ってセットし、日付が変わって電話を一本かけ、ジントニックを飲んだ。彼はお酒を飲まなかった。そしてそれから、寝袋を用意してやって彼がそこに、僕はベッドに入って眠りについた。翌朝、7時に起き出して炊きあがったばかりの米を弁当箱に詰め、残った分で小さいおにぎりを3つほど彼に持たせるために握った。リンゴを切り、コーヒーとクラッカーで二人で朝食をとった。駅まで一緒に曇り空の下を歩き、改札の前で別れた。

 

彼と一緒にしたことといえば、たったのこれだけ。時間にして半日と少しばかり、寝ている時間を差し引けば7時間程度の時間。決してワイワイ盛り上がったわけでもないし、かといって気まずい沈黙が支配したわけでもない。お互いに言葉を選びながら、自分の中のイメージをより正確に言い表すフレーズを探しながらのコミュニケーションだった。

 

一つ考えたことは、話すリズムやリアクションの醸し出すニュアンス、それに対する意味づけの仕方は人それぞれで異なっていて、自分の中の「ものさし」で測って相手の受け取り方を推測しすぎるのは、ナンセンスだということ。

 

決して、相手を慮ることや言葉遣いを考えることを否定するのではない。例えば、あるリアクションが自分には少し否定的に映ったとしても、本人にとってはごく普通の、あるいはこちらに対して配慮をするが故のものだったりすることが、ままあるのではないかということだ。

 

もう一つ彼と話す中で考えたことは、仕事の採用選考に受かることと、自分という人間に対する大きな意味での承認を同一視しているのかもしれないということ。これについては、もう少し時間をかけて考えていくことになると思う。記録のために、ここに残しておく。

DELE終了、遠足、包丁

先日、スペイン語の検定試験(DELE、デレと読んでください)が終わりました。なんだかんだで、丸一日がかり。終わって一週間が過ぎて、ようやく振り返り。

読解とリスニングは、まぁなんとか全部マークは埋めることができた。ギリギリだったけれど。問題は作文。二題のうちのリスニングして内容を要約する課題を呑気に下書きして語数を数えながらやっていたら、気づけば終了30分前。そんな残り時間でもう一題書き終えられるわけもなく、完成度30%で時間切れ。

やれやれとため息をつきながら何気なく受験票を見ていた時、翌日だと思い込んでいた口頭試験が同日の午後だったことに初めて気づいた。あっぶねー!とか、ラッキー!!とか一人でぶつぶつ言いながら、筆記試験の会場からカフェに移動。二時間ほどあったので、しばし仮眠を取る。

そして口頭試験。20分の準備時間で、新聞の記事を読んで、その内容を要約して4-6分のスピーチ。引き続き、同じテキストに関する質疑応答。その後、子供の18歳の誕生日にあげるプレゼントを話し合う夫婦という設定で、ディスカッションの試験。

端的に、記事の要約スピーチが全く出来なかったですね。何が言いたいの?ってなってしまい、焦りも出てきて読み込めず。もっと、段落ごとの内容をメモに残しておけば、まとめて話すことも出来たかなぁという反省。質疑応答に移る時も、どっちかというとこちらが言葉に詰まったところに助け舟を出す、というような感じでした。実際、すごく助かったけど。

まぁ何はともあれ、本気でチャレンジングなレベルの試験だったので、とりあえずやった感がある。結果も楽しみです。どれくらい出来ていたのがをジャッジしてもらえるので。一方で、やっぱり構文だとか単語とかリスニングの訓練だとかをやったおかげで、確実にスペイン語の力はついたなと実感している。これがいちばんの収穫なんだろうな。資格も価値あるけど。構文や単語も、トライ&エラーで身についていくものなので。

試験が終わってようやく日常に戻った感じがあります。家にいる間、勉強のためにスペイン語に触れる時間を取ることに意識が偏り、ご飯を作ることとの両立がうまくいかなかったので。どうしても、読み始めちゃうと読み進めたくなるのよね、本は。

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土曜日は、茅ヶ崎までお出かけ。農園でキウイフルーツ狩りをした。それから江ノ電に乗って、江ノ島でお昼寝をしたり稲村ヶ崎で素晴らしい夕暮れを見たり、鎌倉でなぜか海鮮三崎港でお寿司食べたり。よく歩いた。

そういえばこの間、お世話になっているお店のオーナーご夫婦から、誕生日プレゼントに名入れの包丁をいただいた。このブログで書いていた、最近料理を始めたというのを読んでもらっていたそうで。とっても嬉しい贈り物。料理をしようという気に、俄然なる。

引き続き、台所に活気を。


Good nightのひと言で。

恋人や友人や家族と会話というものは、ある意味でそこに会話があるのが当たり前というような根拠のない前提があって成り立っている。だから、普通に声をかけるし、会話をする。

 
翻って、街で行き交う全く見知らぬ人とは、そういうわけにはいかない。と言うか、彼らとの間には会話はないのが当たり前という前提がある。だから、普通は声もかけないし、かけられるとびっくりする場合もある。
 
公共の場では、意外と声をかけたりかけられたりする場面もあるが、こと近所のコインランドリーとでもなると、基本的には、洗濯物を放り込んでから取り出すまで口を開くことなく過ごす事になる。
 
昨晩も、普段通り乾燥機をかけに夜の閉店間際のコインランドリーに行った。本を読みながら時間を待っている間、ひとりの外国人が自分の洗濯物を取りに来た。彼は、持ってきたビニールの袋に自分の乾いた洗濯物を無造作に突っ込むと、"Good night."と僕に声をかけながら立ち去っていった。だから僕も、"Good night"と言い、彼がいい夢を見ることを祈った。
 
たったこれだけの会話だったけれど、彼が去ったあとに僕は彼に対して特別な感情を抱いた。恋人でもなければ友人でも家族でもなく、どこで何をしていてどうしてこの街に住んでいるのか、全く素性の知れない赤の他人に変わりはないのだけれど。
 
こういう言葉のやり取りに、コミュニケーションの本質を見たような気がした。見知らぬ相手に言葉を贈る、それを受け取って言葉を返す、そして相手を祝福し、相手に良きことを祈る。そうして、自分自身がとても豊かな気持ちになった事に気づき、とても大きなものをいただいたことを知る。
 
もちろん、恋人や友人や家族との会話でも、幸せを感じることはある。それとは全く異なる文脈における、昨晩感じたこと。
 
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クルミを割りながら
初冬の風に身を縮こまらせ、
 
ワインを飲みながら
鉛色の空を見る。
 
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初めて家でジントニックを作ってみた。なかなか良いものだ。プロの見よう見まねで自分で作ると、それっぽいものが出来るし、そういう気分も味わえる。それが一層美味しさを増す。
 
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ジンでフワフワしながら、明日のお米をセットして、今日も眠ろう。
 
 
Good night. 

パリ、ベイルート、リアクション

*最初に断っておくけれども、今日の記事に誰かを非難するという意図は全くないです。

 

土曜日。雨のために審判割当が中止となる。

 

8時前に目が覚めてFacebookを見てみると、パリで起きたテロについての投稿や、欧州各紙のアカウントが続報を流すのがタイムラインを埋め尽くしていた。ツイッターを見ていると、ハッシュタグで#PrayforParisとか色々出ていた。何か、妙な違和感があった。ところで2日前くらいに、ベイルートでの同時多発テロのニュースをYahoo!ニュースで読んでいた。40人前後の犠牲者が出ていたように思う。その時は、SNSのタイムライン上で、このテロに関連する投稿を目にすることはまったくなかった。

 

そこに、今朝のパリでの事件。その妙な違和感は、初めは誰かを糾弾するようなスタンスを取っていた。「なんでパリだと、そうやってやれ連帯だの黒いリボンだのなんだの、やれ文明に対する攻撃だのなんだのと声を上げるくせに、ベイルートのテロに対してはそうならないんだよ」と言ったようなニュアンスである。しかしながら、即座にこのような他責的な自分の反応に対して、違和感を持った。ちょうど、6月にアメリカ連邦最高裁同性婚容認の判決を出した際にFacebookプロフィール画像をレインボー加工することに関して以前書いたのと、同じような感覚である。

 

taninho.hatenablog.com

 

もう少し考えていると、ほかならぬ自分自身が、ベイルートのテロとパリのテロに対して、異なる反応を示しているのが見えてくる。同時に、自分のSNSの友達やフォローしている人たちが、国外だとほとんどヨーロッパの国の人たちであることを、再認識した。彼らヨーロッパの人たちからすれば、同じ価値観を共有している(少なくともそう思われている)パリでテロが起こったとなると、他の地域での事件と比べて数倍も数十倍も自分ごとのように思われるだろうことは容易に想像できる。もし、自分のFacebookの友達の半分がアラブ圏の人々だったら、当然タイムラインで目にするパリでのテロに対するリアクションも、ずいぶん違ったものになっていたのだろう。

 

 最初に持った他責的な違和感というのは、ベイルートのテロとパリのテロとに対して自分自身が下す評価の違いにその矛先が向けられていたのだと思う。それはある意味で、国や文化圏に対する親密さの距離感の違いと言える。

 

プエルト・リコに対して少し特別な感情があるのはリッキー・マーティンの出身地だからであり、スウェーデンに対するスタンスと他の北欧の国に対するスタンスの違いは大学でスウェーデン語を学びスウェーデンに留学していたからであり、スペインと他のスペイン語圏の国に対する愛着の違いには何か理由があり、はたまた自分の大切な友人が過去に住んでいたりした国にはまた特別な感情を持っているのも、そういうことなのだと思う。

 

自分は、スペイン語を学び、スウェーデンに留学し、ヨーロッパの他の言語を学び、それらの言語を話す人々と友達になり、それらの言語で書かれたニュースを読み、そうやって日々過ごしている。ある意味で、ヨーロッパの国々で起こっていることは、自分自身に起きているのと同次元のものとして捉えている部分がある。一方、中東やアフリカでテロであったり紛争があったりしても、幼い頃からそういうのをニュースで見てきていて、近年でも政情不安だったりデモ隊の弾圧であったり独裁政治であったり、「そういう地域」というレッテルと張っているのだ。

 

パリで亡くなった人にも、ベイルートで犠牲になった人も、同じように家族がいて友人がいて恋人がいて信じている宗教があって、そうやって日常を過ごしていたことに変わりはないだろう。そしてそれは、世界中の人に取っても同じことが言えるだろう。そういうことを想像しながら物事を考えていくようにしていきたい、そう思った。

 

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さて、その他日記的に。

 

お昼間はご飯を食べ、スペイン語のお勉強。いよいよ来週になりました、DELE。ドキドキですね。ライティング対策に、TEDのスペイン語での講演を聞いて内容の要約。スペイン語力の前に、要約力の低さを痛感。話の勘所は何なのか、どういう流れで要約を書くのか、そういう訓練が足らん。たぶん日本語でも苦手なんだろうな。

 

夕方からお出かけ。今日は四谷のイタリアンレストランで、オリーブオイルのセミナー。みっちり2時間のセミナー・テイスティングの後で、美味しいイタリア料理のコースをいただきましたよ。テーブルをご一緒させていただいた初めましての皆さんも素敵な方々で、楽しい時間を過ごせた夜でした。

 

帰ってきてワインを飲みながら、テロについて思ったことをブログに書いていたのだけれど、なかなか考えがまとまらず2時間以上もかかった。いろいろ考えが頭に浮かんでは消えるし、思いついたそばからそれに対して自己反駁が始まるので、簡潔に自分の考えを述べることが難しい。過不足なく文字にすることが殊のほか難しいですね。

 

一応、記事の体裁が取れたので、もうアップして寝よう。

 

今朝、Facebookに書いたこと。もう一度ここに記して、オシマイ。

"My sincere condolences for those suffered from attacks in BOTH PARIS AND BEIRUT in the last 2 days..."

湯船、思い出、レールの敷設

立冬を過ぎて
日が沈むのも早くなり
今夜は少し
寒い夜

久しぶりにお湯を張り
ぬくもりながら
テレビを見る

バースデーメッセージに
ひとつひとつ返事をし
一人一人の顔を
思い浮かべる

色々な出来事や思い出が
色鮮やかに蘇ってくる

このブログを
読んでくれている人が
ちらほらといて
それを伝えられると
やはり嬉しいです

照れますがね


********************
思い出の中を泳ぐのは
とてもたやすいことで
生き生きと踊るように
泳げるのだけど
未来を描いて
自分のレールを
自分で敷くのは
そう簡単ではない

でも
やろうとすれば
できていくだろうし
やろうとしなければ
人様に敷いてもらった
レールをぐるぐる
回るだけ

そんなお話を
今日聞きました

オワリ

HBD to me

30歳になった。
実感、なんてない。
感慨深いものは、ある。

何を置いても、自分一人でやってきたわけじゃないし、家族や友人や恋人や上司や同僚や先輩や後輩や先生や恩人やその他いろいろな形でご縁をいただいた人たちと、これからご縁のある人たちのおかげで、今朝30歳の朝を迎えることができたということを、改めてここに記して残しておきたい。

責任を持つことであったり、人を愛することであったり、人生の様々な局面で積極的に対処することであったり、チャレンジングに映ることは生きているといくらでもあるけれど、そこから逃げずにしかと向き合っていくことを楽しめるように、大胆に生きていこうと、そんな事を思う今朝。

雨上がりの雲の間から見る朝焼けが、とても綺麗だ。

まずは、朝ごはんちゃんと味わっていただくことにする。

青春の曲、あるいは、その曲を聴いていた時期を「青春」と呼ぶ

ひとつ確かだと思う事は、人が人生でどんな曲をどのように解釈しながら聞いてきたかによって、その人の生き方がある程度定義されるということだ。同様に、どのような物語をどのように解釈しながら読んできたか、どのような絵をどの様に解釈しながら鑑賞してきたか、そういったことに人の生き方はある程度定義されると思う。そしてまた、新しい種類の歌だったり物語だったり絵だったり、あるいはまったく別の表現物だったり、そういうものに出会うたびに、その生き方の定義のされ方が更新されていくのだと思う。

 

僕が初めて買った洋楽のアルバムは、リッキー・マーティンのアルバムだった。1998年のワールドカップのテーマ曲が、とてもキャッチーで好きだった。その時は、誰のなんという曲かも知らなかった。翌年、Livin' La Vida Locaをラジオで初めて聴いた時、一瞬でハマった。すぐにCDショップに駆け込み、歌詞カードを眺めながらひたすら聞き込んだ。そして、前年のワールドカップの曲も彼が歌っていた事を知った。そこからスペイン語に魅了され、スペイン語圏の歌手を知るたびに彼らのアルバムを聴き、歌詞の内容を味わってきた。

 

リッキー・マーティンにせよ、フアネスにせよ、エンリケ・イグレシアスにせよ、あるいはシャキーラにせよ、タリーアにせよ、はたまたジプシー・キングスにせよ、実に直截的な歌詞で、どストレートで、思いの丈を詞に込めた、そんな曲がとっても多い。そんな曲を聴きながら10代後半から20代の前半を過ごしてきたものだから、勢い自分のスタンスも多かれ少なかれ影響されるもので。

 

とはいえ、そういった直截的な言葉遣いだけが表現方法であるわけもなく、実に様々な表現方法が人生には隠されている。表現方法というと少しざっくりしているけれど、自分が口にしたり文章にしたりできる表現の幅というものもまた、どのような作品に接してきたかに依るところが大きいと思う。

 

前にも書いた様な気がするけれど、人生のどのタイミングでどんな芸術作品に触れる事になるかどうかは、あらかじめ決められている様な気がしてならない。あるいは、どこかで神様か誰かが全ての物事のなりゆきを眺めていて、適切なところで適切なものを自分の目の前に差し出してくれている様な。そんな気がしてならない。

 

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「思う」と書くことと、「思って"いる"」と書くことで

出てくるニュアンスの違いが、新しい発見だった。

 

 

運転見合わせ、答え合わせ

遅い電車で帰宅途中、利用路線が運転見合わせとなった。再開の見込みがとっても遅かったので、タクシーで帰ろうと途中下車をする。

ふと地図を見ると、思いの外自宅方面に近いところに駅だったので、寒さが堪えたけれども歩いて帰る事にした。

約1時間と少し。途中、大学の側を通った時、銀杏の香りが強烈だった。季節を感じながら、冷たい夜風に肩をすくめながら歩いた。

今日はチノパンを買った。欲しかったベージュ。これでボトムスはひと通り揃ったので良しとしよう。インナー用のTシャツが数枚欲しい。あと、ワイシャツが1,2枚と、ニットがあれば十分。

可愛いスニーカーを見つけた。とっても欲しくなったけれど、アウトフィットとのコーディネートがいまいちピンと来ず、足合わせだけで満足して棚に戻した。ドイツのmöbusブランドのもの。

カラオケに行った。9月末の通訳の時以来だった。久しぶりだと思っていたが、なんだかんだでひと月も経っていない。

差し向かいで語り合った。僕はお酒を飲みながら真剣な話をしようとすると、何故か英語やスペイン語で話したくなる。なぜかと聞かれても、理由などない。その方が、考えを伝えやすいのだ。

伝えたい事があって、それにいちばんしっくりくるワードを、頭の中の限りある多言語の引き出しから取り出し、それを元に言葉を紡いでいく。いったんそのモードになると、身振り手振りも何もかも、その言語のモードになる。なっていると思う、わからないけれど。

風呂場の排水溝を掃除した。最近、ヘアケア用品の新しいブランドを探している。ロクシタンを試してみようか。

今朝は何故か夜明け前に目が覚めた。朝焼けが印象的だったのでそのまま起き出し、最寄駅の陸橋の上まで散歩をした。遠くにスカイツリーが見え、その右斜め上に明けの明星が輝いていた。雲一つない夜明けだった。うっすらと虹がかかっていた。

香港とは打って変わって、東京は冬の気配が、漂っている。陽が射せば暖かいけれど、日陰や夜は寒い。天体はすでに誕生月。にぎやかな季節がやってきた。

少しばかり、トンネルに慣れてきて、前に進んでいるようだ。ただ、道はどこまでも続いている。死でさえも、途中駅のひとつに過ぎない。ただ、当面の到達点でもある。

看取る事、弔う事が、僕のお役目。そしてそこが答え合わせ。僕を弔うのは、次の世代のお役目。そこが彼らの、答え合わせ。

ささくれ、コンパニオン、"Sorry, Sir"

人差し指のささくれを引っ張る。すると、そのうち血が滲んできて、しばらくすると血小板の作用で出血が止まる。

 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
朝から、粥屋でおかゆを食べる。ピータンと鶏肉とパンが入っていて、丼一杯で腹がふくれる。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
とてつもなく広い展示場を歩き回る。時々商談をし、名刺を交換し、コンパニオンを眺め、商談し、名刺を交換し、カタログをもらい、これまの人生でいちばん不味いスパゲッティを食べ、また歩き回り、商談をしてカタログをもらう。宿の近くで小籠包と点心を食べ、ビールを飲んで風呂に入る。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
朝起きてフルーツを食べ、シャワーを浴び、審判の用意をキャリーバッグに詰め込み、前日にアイロンを当てたシャツを着て髪の毛をジェルでセットし、鼻毛を切って眉を整え、ジャケットを纏って家を出る。革靴の音を響かせながら、少し背筋を伸ばして歩いて駅に向かう。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
言葉の響きに惚れ、音を学び、音の生成を身に付け、文法体系を知り、法則の類推と検証を繰り返し、読み、書き、聞き、話し、身体中をそのリズムに染み込ませ、脳波の設定をアジャストしていく。その作業を、アプローチを変えながら愉しんでいく。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
山手線に乗り、有楽町で降りて駅前の果物屋でフルーツを食べ、本屋に行って一時間ばかり本屋の空気を味わい、ふらっと店を出て左に曲がり、銀座を行き交う人々の間を歩きながら取るに足らない事を考えては忘れ、ワインを飲みパスタの大盛りを食べ、デザートとカプチーノを頼んでから新宿に移動し、四谷まで散歩をしてフラフラと飲み屋をハシゴしながら家に帰る。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
飛行機を降り、入国審査場までの長い通路をてくてく歩いて行って「VISITOR」の列に並び、はしゃいで規制線を超えて列に割り込もうとした弟を慌ててつかまえに来たインド系の9歳くらいの男の子が、警備員に"Sorry, Sir"と言っているのを聞いて感心し、入管の仕事っぷりに衝撃を受けながら荷物のピックアップをして、シャトル列車に乗り込む。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
好きな女の子に花を買い、仲の良い友達にバースデーメッセージを送り、ご無沙汰している先生に手紙を書かなくてはと思いながら先送りにし、ペットボトルの水を一口飲み、海外の友人たちに思いを馳せ、マンションの管理人さんに朝の挨拶をし、大きなスーツケースを持った旅行客と一瞬目が合った後にすれ違い、野良猫に愛想をし、たまに行く中華屋の店員さんに注文し、流暢な英語を話す人に嫉妬し、粋にスーツを着こなす大人に憧れ、誠実なベンダーの対応に感心し、カスタマーサービスのオペレーターの苦労を想像しつつも対応に不満を表し、マスタベーションをし、試合のウォーミングアップ後に脈拍を計って体調を確認し、腹が減ったら飯を食う。そうして、ここまで書いてようやく、「「生きている」ということを実感する」というフレーズが出てこなかった事に気付いて唖然とし、またペットボトルの水を一口飲み、そのうち眠たくなり、当たり前の様に来ると思っている明日の予定を頭の中でざっと確認してから、ベッドに入る。
 
 
今日、実家の飼い犬が死んだ。
 
 
父親が会社に行くのを見送り、衰弱して苦しむところを家族に見せることもそれほどなく、弟がバイトに出掛ける前に、母親と弟に看取られながら、息を引き取った。最後まで、よく出来た子だなと思った。律儀な子。
 
 
後に残されたものの使命は、弔うことと、しっかり生きていくこと。そして、悲しみを味わい尽くすこと。目をそらさずに。
 
 
今日、実家の飼い犬が
還っていった。
 
 
亡骸はいつもの寝顔と大差がないが、それを眺めるこちら側が全く別人になってしまっている。「この子はもう、ここにはいない」。けれど、「存在するとは別の仕方で」、我々の現実世界に存在し続ける。

東京タワー、ピザ、公園

三日月がきれいに浮かんでいた
東京タワーは偉大だった
道路に猫が死んでいた。

坂を登っては下り
下りては登り
うっすら汗をかきながら
夜の街を行く。

白ワインを飲み
生ハムといちじくを食べ
きのこのソテーと
茹でたブロッコリー
追加する。

窯で焼いたマルゲリータ
もう一杯ワインを合わせる。

また坂を下り坂を登り
途中の公園で休憩し、
再び歩き出して
夜風に当たりながら
酔いを醒ます。

喫茶店に入り
紅茶とマロンを食べ
さらに歩いていく。


そのようにして、また
人生を歩いていく。

歩き続けていく。