谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

自分達で企画して、青春の思い出、子育ては親育ち

今日は審判の研修会。班ごとの当番制で、審判員自ら企画運営を行う形式のもの。その研修会の本番が終わった。10月の半ばから約2ヶ月の準備を経て、本番を迎えたが、概ね好評でホッと胸を撫で下ろしている。肩の荷が降りた感じ。

大学時代は、よく専攻の飲み会の幹事を喜んでやっていたけれど、こういう仕事のようなものの企画運営と言うのは、振り返ると初めての経験だった。飲み会の幹事なんていうものは、結局みんなが楽しく美味しくワイワイ出来てりゃいいわけで、押さえるところだけ押さえて、最後には足が出た分自分で補えばええわって言う覚悟さえあればなんとでもなる。でも、こういう研修会となると、全く話は違ってくる。まぁ当たり前のことですが。

自分達で企画して運営・発表まで行う研修会は、場を用意されたところに参加するより数倍自分ごとになっているので、色々やってる間にあっという間に時間が過ぎていった。細々としたテクニカルな部分にも気を遣ったし。

12月に入って特にこの1週間は、今日にいくつもイベントや締切が重なった関係で、とっても忙しく日が過ぎていった。一応ひと通りそれぞれのプロジェクトなどを終えたけれど、思い知らされたのは、焦らずひとつずつ片付けていくことでしか目的地には辿り着けないですよという、至極自明なことです。まずは具体的に身体を動かす。紙とペンを用意して、書き始めてみる。そしてひとつずつひとつずつ、時にはある一つのことがトリガーとなって全く無関係のことを思い出したようにする事もあるかも知れないが、それも含めてひとつずつ丁寧に。そのうちフロー状態にうまく入ることができれば、予想外なところまで物事が捗るんじゃかなろうか。

また、最近仕事においてうまくいかないことが続いたりしていたのだけれど、「自分vs相手」で向き合ってしまう癖がかなり強いことは意外な発見だった。つまり、すぐに防御体制に入るというkとです。そうなってしまうと、これはもちろん相手があることですから、どんどん手詰まりになって煮詰まっていき、最後には二進も三進もいかなくなっちゃう。そうではなくて、いかに相手と同じ方向=前を向いて協力・協働していくか。難しい物事を進めていく上では、そこがポイントになると考えている。「勇気づけ」というとアドラー心理学の術語のように聞こえるが、how to encourage the person to get the result you want to achieveというような事かなぁと。

話は変わりますが、昨日は新宿まで髪を切りに行って、そのあと友人の作品展を覗きに銀座まで。久しぶりに一人で街にお出かけして、独身時代の思い出に浸っておった。パーマを当てたらすっかり又吉みたいになりました。マスクをしてると特に。昔よく行ったカフェは、店員さんに知ってる人も居なくなり、店に入ったのも中途半端な時間帯だったのもあって、何か注文しづらくって、タルトとカプチーノを食べただけでそそくさと出てきてしまった。あの頃は楽しかったなぁと、6-7年前を思い出していた。振り返ると、僕は少し遅めの青春をやっていたのでしょうか?反抗期も20代半ばを過ぎて経験したし、ひょっとしたら何かにつけていちいち少しズレてるのかも知れません。よぉ知らんけど。すっかりご無沙汰だった友人も元気そうで、相変わらず素敵なご縁に恵まれてる様子が何より。昔の写真とかを眺めながら、また来年は、あの時のご縁が何か形になったり皆んなで集まったりと、少しずつ動きがありそうな予感。

来週は、職場のチームディナー。この夏に退職された元部長と元課長のお二人の送別会と、新たに入ったメンバーの歓迎会を兼ねて、貸切レストランで。ワクワク。気づけば、東京の営業チームでいちばんの古株になってた。まだ4年目なのに。色々とチャレンジは続きますが、臨機応変にやっていかねばね。

今年は川崎でゆっくりと年末年始を過ごします。年明けには娘のバレエの発表会に親がこちらに来るし。「娘のバレエの発表会」とか自分が言う日が来るなんて!!という気分ですが。通っているバレエの先生も幼稚園の教育方針も、子供をとても尊重していることが手に取るようにわかり、懐の深さに感銘を受けるばかり。園長先生に感心したのは、入園式の挨拶の時に、まず最初に子供達に目線や声色を合わせ、「わたしの仕事は、あなたたちを、しあわせにすることでーす!」と、言葉だけでなく身体全身からそのメッセージを全力で伝えようとしておられ、そして実際に発信されていたことでした。その挨拶を聞いただけで、「この幼稚園で良かったね」と得心がいった次第。最近は、9月の登園自粛に始まり、里子受け入れとか風邪引いたり、治ったと思ったらまたぶり返したりを繰り返していて、なかなかリズムが作れていない。でも、登園時間に間に合わせようと言うのをやめて、その代わりに毎朝園に電話をして、「すみません今日も遅れて登園させます」と伝えている。一応、連日のことなのですまなさは感じながら、そこまで苦にならないのは、ことあるごとに先生方が子供たちに「幼稚園に来たくても来たくなくっても、先生達は誰々ちゃんの味方だよ」と伝えている姿を目にしているからです。ましてや、遅れて登園する園児が見受けられるとか、そういうメッセージが発信されることはないので、そういう方針で教育をしてくれているのはありがたいことだよと嬉しく思っている。

そして家でも、怒ることを目的にしてしまっていないか、傾聴ができているか、どうしても伝えないといけないことを相手が聞けるような体勢になる手助けを出来ているか、そういうことを反省する毎日である。