谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

「やる」「やらない」を巡って

白か黒かを決めるだけの時に二人で相談して決めることは、簡単そうに見えて難しいし、一方で決めてしまうだけならそんなに難しいことでもない。どちらか一方が腹の中で既に結論を出していて、それでも相談する時には、その腹の中で決まった結論を覆すことはほぼ不可能と考えて良い。余程重大な考慮点を見落としていたなら話は別だが。

打診を受ける受けないの話も、最初に話を聞いた方が既に答えを出していて、あくまでも相談という体で話を持ってきても、すでに相手が決めた答えがどうしても受け入れられないなら、強く「いやだ」という他ない。「できる」「できない」の話でいくと、「できることしかできない」という構えに対抗する手段など無い。「できる」「できない」に対抗できるのは、「したくない」でしかないのか。

もっとも、向こうも「したい」をベースにこちらに相談に来ているわけで、それに対して「できない」という百の理由を述べたところでなんの進展も望めない。「やればなんとかなる」という言葉の強さである。

結局は、やりたいことしかやれないし、できることしかできない。したくないこともできるけれど、やれないことは逆立ちしてもやれない。ということは、自分が「やれない」と思っていることの大半は、本当にやれないのではなく、「やらなくとも良いこと」あるいは「やろうとすればできること」のどちらかで、本当にやれないことは、例えば急に100キロのバーベルを上げるとか、結局身体的な限界に関することになるのだろう。お金の制限だって、本当にやりたければ借金してでもなんでもするのだろうし。

今日は、以前に一時保護で預かった子供の再預かりの打診をきっかけに、色々と考えた夜でした。