谷 充展のブログ

ある時、不意に胸を衝く言葉たち。そういうものが、どこかに隠れている。そんな場所。

Respect vs 「リスペクト」、ウケを狙って、臭い物に蓋をして

ブログを読んだりTwitterを眺めたり。色々社会で起きている事件や問題に関するツイートに「いいね」を付け、記事を読んで見識を増やしている気になっている。

 

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ガメさんのブログの過去記事を集中的に読んでいる。

https://gamayauber1001.wordpress.com/

 

その中で日本語の薄っぺらい現状についての指摘が、正鵠を射ている。それは、自分もなんとなく感じていた違和感のようなもの?こういう言い方をした次の瞬間から、また手垢のついた表現だなぁと見直してしまうのだけど。

 

外来語や長い単語をすぐに4モーラの略語=コピーに作り変え、大安売りで使い倒しているうちに、気づけば自分の日本語がどんどんやせ細っていく。

 

議論をするにあたっても、自分の意見を理路整然とわかりやすく伝えられず、すぐに感情の起伏に重きを置いて、挙げ句の果て、機嫌を悪くする。「ウケること」を狙って、しょーもないことを言い、「面白いこと」を言おうとして、がんじがらめになる。

 

商業コピーのような造語は、まるで「臭い物に蓋をする」かのように、その下にある問題や本質を覆い隠す。

 

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サッカーの競技規則の和訳を読んでいても、そしてレフェリーの仲間同士で話している時でも、なんとなく感じる違和感。

 

サッカー競技の本質は、英語でないと理解出来ないのではないだろうか、と。

 

特に感じるのは、「リスペクト」というカタカナ5文字。JFAが、「リスペクト」についての解説をしていて、具体的にはこうする事です、とまで親切に教えてくれている。競技規則には、審判員とその判定はリスペクトされなければならない、と書いてある。

 

しかし、根拠はないが確信して言えることは、Respectは「リスペクト」ではないし、ましてや、「尊敬」でもなければ、「大切に思うこと」でもないはずである。もっと中立的で肩肘の張らない、ベタベタしていない、リラックスしたクールな眼差しではないかと思う。

 

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少し話がそれるが、小学校の歴史の授業で「鎖国」については学ぶが、実際、江戸時代にどれだけ諸国の文物が流入して、どれだけの西洋人が使節など様々な形で日本を訪れたのかとかは、本当に表面的にしか習わないだろうし、身につかないのだろうと思う。

 

鎖国」という3モーラの単語は、非常に覚えやすい一方、人物の名前や業績や出来事の相関関係などは、理解して記憶に留めるのが、大きな労力を要する。

 

そうして「鎖国日本だけ独自の発展明治維新驚異的な発展・・・という流れで、いわゆる「島国根性」が独自の進化を遂げた結果が、今の日本社会の状況ではないだろうか。

 

一から十まで完全に思いつきの仮説に過ぎないが。

 

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話をサッカーに戻して、2008年にUEFARespect Programmeをスタートさせて、それから1-2年くらいで日本でも世界に倣って「リスペクトワッペン」が作られ、レフェリーがそれをシャツに貼り付けて試合に臨むよう要請された。

 

そこから「リスペクト」というカタカナ5文字が、レフェリー仲間の間でも一気に浸透した。こういうのはブームのようなもので、新しいワードの定着は、世間に比べて何十倍ものスピードがある。もちろん、集団のサイズが大いに関係してはいるけれども。

 

事あるごとに「リスペクトが足りてない」だとか、「リスペクトだよね」とか、本人は嬉しそうに口にしているのを聞いて、「なんとなく軽薄に聞こえるのはどうしてだ?」とずーっと無意識に考えていたように思う。

 

そして同時に、選手への対峙の仕方、対応の仕方を考え続ける中で、Respectとは一体どういうことを言おうとしているのか、どういう状況のことをいうのか、などということが頭の中に常にあった。

 

そこを考えることなしには、自分のレフェリングの「その次」が見えない予感がしていた。